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昼食難民の新書生活

(新宿・秋葉原・芝浦など各地でのランチと読書)

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白丸ランチ@博多 一風堂

博多ラーメンのニオイが苦手だ。
博多ラーメンよりもきついニオイの横浜「家系」ラーメンはもっと苦手だ(ところで「家系」ってアタマの悪そうなネーミングは誰がつけたんだろうねえ。やっぱりアタマの悪い人かなあ)。

だから、滅多なことでは「博多ラーメンを食べたい」と思うようなことはない。でも、誰にだって魔が差すことはある。炎天下を上野広小路方面に歩いているうちに、博多ラーメン「一風堂」と札幌ラーメン「山頭火」が軒を連ねている辺りを通った。両店共に前々から気にはなっていたが、行列に並ぶのは嫌なので入ったことはなかった。行列がなかったので山頭火に入ろうとしたら「仕込み中」だった。そこで、あまり気が進まなかったが、こちらも行列がなかった「一風堂」へ入店。

080722@一風堂

この手の店によるあるように「いらっしゃいませー!」という不必要に元気な声で迎えられ、他の店員も口々に「いらっしゃいませー」と叫ぶ。ちょっと嫌な予感がするが、入り口横の8人ほど座れる大きなテーブル席に導かれるまま座った。

ランチタイムは、コッテリ味のラーメン「赤丸かさね味」あるいはあっさり味のラーメン「白丸元味」に、ご飯(お代わり自由)とミニ餃子5個がついて100円増しのランチメニューがお勧めらしい。迷わず「白丸ランチ(850円)」を注文。麺は「固め」。
「ラーメンが出来上がるまで、前のモヤシと高菜を食べてお待ち下さい」
博多ラーメンの店では、モヤシと高菜漬けをラーメンに好きなだけ載せて食べるようになっているのが一般的だが、この店のモヤシは唐辛子と酢醤油などで漬けてある。

待つこと7~8分。「白丸元味」が登場。遅れてご飯も供された。餃子は来ないが、ラーメンがのびてしまうので食べ始めることにした。

080722白丸ランチ850円@一風堂

意外なほど博多ラーメン特有のニオイはない。スープを飲み込むときに、クリーミーな喉ごしの後で、かすかに豚骨のニオイがする程度だ。これなら大丈夫。安心して食べ始めたが、それにしても麺が細い。三輪そうめんと同じ太さじゃないだろうか。麺があまりも細いのと「固ゆで」で注文したので、どの程度のコシかあまりわからないが、食べやすい固さだった。スープもクリーミーながら、しっかりとした旨みのあるダシで塩味もしっかりついていた。人によっては「しょっぱい」と言うかも。チャーシューはごく普通。キクラゲ、青ネギとごく普通の博多ラーメンの具が入っていた。一般の餃子の半分ほどの大きさのミニ餃子は、赤い柚こしょうと酢醤油で食べる。

最初は、カラ元気で慇懃無礼な接客の店かと思ったが、実はそこそこ親切で不愉快な思いはしなかった。でも一番良かったのは臭くなかったこと。今度は「赤丸かさね味」を食べてみよう。


博多 一風堂 上野広小路店
東京都台東区上野3-17-5

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『〈宗教化〉する現代思想』仲正昌樹(光文社新書)

〈宗教化〉する現代思想


『〈宗教化〉する現代思想』仲正昌樹(光文社新書)

本書で、何度も繰り返して語られるのは、本のタイトルのように「現代思想が宗教化」して哲学者や思想家が彼を〈教祖〉として崇める信奉者たちと宗教的な共同体を作っている、という指摘である。いったいどんな哲学者や思想家を想定しているのか不明だが、これだけ何度も書いているのは、誰か具体的なモデルがいるということだろうか。

あるいは、この本のタイトルは本当は逆のことを言いたいのだろうか。つまり、「宗教化する現代思想」ではなくて、宗教家が思想家を装っている「現代思想化する宗教」の危険を訴えているのか。

著者は、「真理がわかった」として集団を率いる啓蒙主義的な思想家・哲学者を批判しているが、「真理がわかった」ように振る舞うのは、哲学者というよりも、むしろほとんどすべての宗教家の方ではないのか。

「真理がわかった」と言う人間に従い、礼讚する人々については「お幸せに」とでも言うしかないが、思考停止や判断停止を受け入れる。考え続け、悩み続けるのは面倒だから、既製品の思考方法や判断を受け入れて、悩みから救われようとする人々が少なからずいるのは確かだ。

「真理がわかった」と言ってしまった時点で哲学者としては、いわば職務の放棄である。なぜなら、「何故か」という問いを問い続けることこそが哲学だからだ。

第2章以降は、著者の専門分野であるヨーロッパの社会思想史である。著者は、ヨーロッパの思想家はあらゆる事象を「善/悪」をはじめとする単純な二項対立に置き換えようとするキリスト教の影響下にあったかのように描いている。しかし、あまりに教科書的にで皮相な見方ではないか。ヨーロッパ人の思考の深層には、キリスト教以前のアニミズム的な文化があるはずだ。中近東の遊牧民族が生み出した宗教が、狩猟畑作民族の宗教を席巻したのは確かだが、マリア信仰を見るまでもなく太古の宗教=文化がヨーロッパの深層に今も息づいている。

著者は11年半にわたって統一教会の信者だったという思想史学者。

統一教会は、「十字架で死んだイエスは、『地上の王国』の王になることができず、神の救済計画は成就しなかったという前提に立って、自分たちの教祖こそが、再臨のキリストであり、地上の王になるという使命の継承者であると主張する」と書いているが、イエスの代わりに文鮮明がなぜキリストになるのか疑問に思わなかったのか。統一教会が“しっくりくる”ものだったというが、自身の統一教会体験に関する“週刊誌的”興味には答えるつもりはないとしている。

しかし、そうした特殊な体験を明らかにしている著者が書いた“宗教”に関する本だから、その体験を踏まえた、統一教会の影響を強く残した記述になるのは当然のことだろう。

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『日本の「伝統」食―本物の食材に出会う旅』森枝卓士(角川SSC新書)

日本の「伝統」食


『日本の「伝統」食―本物の食材に出会う旅森枝卓士(角川SSC新書)

“真っ当な”つまり本当の食材を探す旅の記録。雑誌『自遊人』で現在も連載中らしい。塩、味噌、醤油、酢、味醂、ごま油、和三盆、鰹節、昆布と日本料理の調味料から野沢菜漬け、奈良漬けと16品目の真っ当な調味料と食材の生産現場を訪れている。

こうした本物志向は、20年以上前に雁屋哲が本物の食材を巡る旅を始めたのが最初だったと思う。漫画『美味しんぼ』を1年以上も長期休載していたころだったのではないか。その後の漫画連載では、凝った調理法だけではなく、本物の食材をテーマにすることが多くなったのは当然のことだろう。

この本で採り上げている藻塩や和三盆などの伝統的な食材や調味料は、雁屋哲が紹介した後で、雑誌やテレビ番組で何度も採り上げられたテーマであり、そうした手垢の付いた題材をどう処理しているのかと読み出したところ、がっかりするほど新鮮味のない情報ばかりだった。わざわざ取材までしてこの程度の記事しか書けないのは何故だろう。たいていのことは、インターネットで調べれば相当に詳しい情報が得られるのだから、現地を訪れた成果をもっと書いてほしいところだ。

真っ当な食材を製造している会社でも、輸入原料を使った製品も作っているところが少なくない。“安ければよい”という消費者の方が多いから、真っ当な食材だけを作っていたのでは商売にならないからだという。また、その会社で作った原料は真っ当でも、他社製品と合わせた加工食品の場合真っ当な食材ではなくなることもある。

いつも感じることだが森枝卓士はなんだかエラソーだ。彼が世界中を巡って豊富な取材経験があることは認めるが、文章からは謙虚さのかけらも感じられない。文章はエラソーだがそれが虚勢にすぎないことが明らかだから余計に見苦しい。

酢は酒から作られている。だから明治後期に防腐剤としてサリチル酸が使われるようになるまでは、一夜にして酒樽が酢樽に変わってしまうこともあった。そのため、造り酒屋は高利貸や質屋を兼ねていた。という話を開高健か山口瞳のエッセイで何度も読んだことがある。森枝は知らなかったらしい。

「味醂を飲む」話は落語によく出てくる。現在は料理に使われるだけだが、かつては味醂も飲用でもあった。これも、森枝はよく知らなかったようだ。

“食”をテーマにしているライターなのに、どうしてこうした基本的な知識がないのだろうか。不思議だ。

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クイティウ@プノンペン(カンボジア)

カンボジアの首都はプノンペンだが、その地名の由来として次のようなことが言われている。

14世紀末に、ペン夫人という信心深い女性が住んでいた。ある時、川を流れてきた仏像を見つけ、近くの丘に祠を作り仏像を手厚く祀った。その丘は、クメール語で「丘」を意味する「プノン」と夫人の名前「ペン」を合わせて「プノンペン(ペンさんの丘)」と名付けられ、それが町の名前になった。

というものなんだけど、なんだか出来すぎた話のような気がする。メコン川とサップ川の合流点である平坦な地の、それも川のすぐ側になぜ急峻な丘ができたのか(丘は構造物ではないのか)。プノンペンという地名になる前はなんという地名だったのか(ペンさんが住んでいたのならば地名があったはずだ)。仏像の発見で大きな寺院ができたわけでもないのに、なぜ地名が変更されたのか。

ペンさんが発見した仏像が安置されているというワットプノン(丘の寺)に行ってみると、寺まで急峻な階段が続いていた。1USドル払って石段を登る。頂上には7~8メートル四方のお堂が建っていた。お堂の中はよく見えなかった。コンクリートのテラスがお堂を取り囲むように巡らせてあった。ちょうど昼ごろの気温は40度を超えて目眩がする。ベンチに座って一休みしながらふと左手を見ると、テラスに一斗缶があってかすかに煙が上がっている。どうやら、寺の関係者がゴミを燃やしたらしい。

するとどこからか小猿が現れ、一斗缶に手をつっこんで、灰を拾って食べている。珍しいこともあるものだと、デイパックからカメラを取り出そうとした。すると、その小猿が近寄ってきて私の左太ももでグルーミングを始めたではないか。いつまでも太ももの毛をつまんでは指先を舐めている。頭に触れようとすると歯を剥いて嫌がるが、背中の毛をつまんでグルーミングを返してやると喜んでいるようだ。

野生のサルが人間と触れ合うのは、この寺でも珍しい光景らしくカンボジア人の土産物売りのおばさんが騒ぎ出した。欧米人の観光客達にも「イエロー・モンキーがモンキーと遊んでいる」と大人気だった。日本人がヨーロッパの動物園に行くと、猿たちが大騒ぎするので恥ずかしい思いをするという話を誰かのエッセイで読んだことがある。日本人は猿にも大人気らしい。

02プノンペン猿01

暑さに耐えられなくなったのでそろそろ帰ろうとすると、小猿は左足のふくらはぎに抱きついてなかなか離れようとしなかった。あまりに可愛いので連れて帰りたかった。本当に。

私は基本的に暑さには強いが、このときは余りの暑さに珍しく食欲がなかったので、スープ麺を食べることにした。安食堂で「クイティウ(米の麺)」を注文。50円ぐらいだったか。タイのクイティアオやベトナムのフォーと同じ米の麺で、入っている物も鶏肉や豚肉、肉団子といったお馴染みのもの。油で揚げたニンニクをふりかけるのも一緒だが、タイでは酢漬けの唐辛子を入れたりするが、カンボジアではライムを搾るところが違う。タイのクイティアオに比べ、スープの旨みが薄いが、さっぱりとして何杯でも食べられそうだった。

02クイティアオ-プノンペン-カンボジア

写真左奥の急須には、カンボジアのナショナル・ドリンクであるジャスミンティが入っている。急須からかき氷の入ったコップに注いで飲む。生水ではなく一度煮沸したものを出すという衛生観念らしい。タイでは、ボトルド・ウォーター(水道水ではなく地下水)を出す店が多くなって、お茶を出す習慣はなくなりつつあるが、カンボジアではまだお茶を出している。

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山鮮弁当780円@備長七輪海鮮山鮮

13時近くに上野広小路から湯島方面へ向かう。路地の奥にある「備長七輪海鮮山鮮」という店の幟を見て入ってみることにする。

080513備長七輪海鮮山鮮


大勢の客が去った後らしく、カウンターには下げられたお膳がいくつも並んでいた。いつまでも片付けようとしないので、なんだか場末感が漂っている。
ようやくお茶をもってきた女性従業員に、「山鮮弁当(780円)」を注文。

080513山鮮弁当780円@備長七輪海鮮山鮮

しばらく待たされた後で出てきたのは巨大なアジの干物の載った弁当だった。でかい。皮を箸でつまむとバリバリ音がするほどだ。肉厚なので、このアジだけでお腹が一杯になりそうだ。大きいのは良いのだけれど、これはちょっと大きすぎるのではないか。インゲンやニンジンを鶏肉で巻いて煮物は味が薄すぎると思う。小松菜のゴマ和えもいまいち。それに、和食にフレンチドレッシングのレタスはやはり合わないと思う。

「莫山風」あるいは「鶴太郎風」店名ロゴを使っているチェーン店はやっぱりいまいちだな。ロゴなんかで客に媚びようとする志の低さが、味にも現れるのだろうか。

そういえば、中国が備長炭の輸出を取りやめる、というニュースがあったが、全国にあまたある“備長炭の店”はどうしたのだろう。中国以外の国から備長炭を輸入しているのだろうか。この店は備長炭ではなく備長七輪(備長の七輪という意味だろう)だから関係ないか。


備長七輪海鮮山鮮 上野御徒町店
東京都文京区湯島3-38-15 伸協ビル1F

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過橋米線@過橋米線

蔵前通りの妻恋坂交差点近くにある「中国雲南酒膳坊 過橋米線」へ。テレビや雑誌などのマスコミに何度も採り上げられたことのある評判の店だ。

080707過橋米線


ランチは、レバニラ定食などのさまざまな定食のほか、日替わりメニューもあるが、店名にもなっている看板料理の「過橋米線(980円)」を注文。

この料理は、その昔の中国で科挙の勉強をする夫のために、妻が橋を渡って運んだ麺料理らしい。橋ってどこの橋のこと、という疑問が沸き起こるが、ひとまずその伝説を信じて頼んでみた。科挙を受験するわけではないけど。
【追記】最近読んだ中国の料理に関する本によると、麺とスープを別々の器で供するので、麺をスープに浸けるときに2つの器の間に麺の「橋」を架けるように見えることが、「過橋米麺」の名前の由来らしい。(2009/03/06)

080707過橋米線980円@過橋米線


麺とスープ、そして具が別々に載ったお盆が登場! 米の麺と、極薄くスライスした生の豚肉や鶏肉、イカ、もやしなどの具を、熱々の白湯スープに入れて食べるものらしい。生肉を麺に載せるのはベトナムのフォーに似ているが、あちらは麺→肉→スープの順に調理場で丼によそわれるので、テーブルに届いたときにはスープの熱で肉がしゃぶしゃぶ状態になっている。スープの表面には多めの脂が浮いている。太めの麺は断面が円型の押し出し麺。米の麺だからコシはほとんどない。昔、給食で食べた“ソフトめん”に似ている。お好みで唐辛子のたっぷり入ったラー油をかけるらしい。

で、お味は。
決して不味くはないんだけど、見たままの味。ちょっと塩味が足りない気がする。

看板料理にしては、あまりに拍子抜けの味だったので、雲南省に行ったことのある友人に尋ねた。
「過橋米線って、旨いものではなかったんだけど……」
「雲南省で食べたけど、別に旨くも不味くもない料理だったよ」

麺がのびないようにスープとは別にし、そのスープも冷めないように表面に脂を浮かせる工夫をしました、というだけなのだろうか。

980円も払うのはちょっと悔しい料理。

中国雲南酒膳坊 過橋米線
東京都千代田区外神田6-5-11 MOAビル1F

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きじ焼重@鳥やき 川中島

この10年ほど、東京は東南アジア並みの暑い夏になっている。
こうした日には、食欲がないから冷たいそうめんをツルツル、それとも分厚いステーキでスタミナを付けるか。私はどちらかというと、スタミナを付けたいタイプ。だから夏痩せではなく、夏太りする……。

肌がヒリヒリするような日差しを受けながら、地下鉄湯島駅6番出口すぐ横の鳥料理を出す店へ。
カウンター横のレジで「きじ焼重(750円)」を頼むと赤い小判型のプラスチック板を渡される。1階のカウンター席が満席だったので2階へ。

080716鳥やき川中島

実は入店の時に気づかなかったのだが、小判型プラスチック板で「もしや……」と思った通り、この店は「カジュアル割烹 川中島]」に関係する店だった。その名も「鳥やき 川中島」。なぜ、焼き鳥でも鶏焼きでもなく「鳥やき」なのか、川中島グループの日本語遣いには疑問がいっぱいだ。

2階は、階段横に4人が座れる小上がり、奥に4人掛けのテーブルが5つ。中年女性店員が1人で配膳をしていた。

他の客は、親子丼や唐揚げ定食を注文している人が多いようだった。待つこと10分弱できじ焼重が登場。

080716きじ焼重750円@鳥やき川中島

焼き鳥だけが並んでいる物を想像していたら、卵焼きや鶏肉そぼろなどが載った料理だった。
胸肉を丁寧に塩焼きした「きじ焼」は、皮はパリパリ、肉はふっくらして程よい焼き具合。そぼろも薄味で美味しい。さらにだし巻き卵はほんのり甘くて絶妙の味付け。ごはんに焼き鳥のタレがかかっているが、これも塩味がちょうどよい加減で上に載った海苔の香りがいいアクセントになっている。自家製ではないだろうが、大根の味噌漬けもなんだか懐かしい味でよかった。

大変満足で幸せな気分になった昼食。

この店が本当に「カジュアル割烹」の系列店なのだろうか?


鳥やき 川中島
東京都台東区上野1-6-4

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カルビ&ハラミ定食@焼き肉屋さかい

この数年、「焼き肉を食べたい」と強く感じることが少なくなった。
やはり、歳のせいなのだろうな。

若い頃は、肉の脂や濃い味付けを身体が無性に欲しがることが多かった。しかし、どう考えても焼き肉は脂っぽいし味が濃すぎると思う。

でも、たまには焼き肉でも食べてみようと、地下鉄末広町駅から徒歩で20秒の「焼き肉屋さかい 末広町店」に向かった。

080715焼き肉屋 さかい


この店は、岐阜発祥のチェーン店で、「炭火焼き肉家さかい」や「和牛焼肉 坂井」などさまざまな業態の飲食店を手がけているらしい。

店に入ると、胸にカタカナの名札をつけた韓国人女性従業員が座る場所を指示してくれる。テーブルには、メニューなどを紹介する液晶ディスプレイがあって、いまどきの飲食チェーン店らしさを醸し出している。

ハラミは横隔膜なので“モツ”と同じ扱いになるから、カルビに比べると仕入れ値が激安らしい、と先日のテレビで見たことを思い出しながら、「カルビ&ハラミ定食(900円)」を注文。

080715カルビ&ハラミ定食900円@焼き肉屋 さかい


カルビは、鮪でいえば赤身だった。カルビなのに脂がなくパサパサして旨みが少ない。ホルスタインだろうか。ハラミは少しだけ獣臭さがあって、ちょっと食べたことのない味。900円だもの、こんなものか。

数カ月前に1度入った店だったが、これまで全く食指が動かなかったのは、この肉のためだったんだね。久しぶりの焼肉だったのに。


焼き肉屋さかい 末広町店
東京都千代田区外神田6-14-7 2F

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焼き魚(サンマ)定食@そはら

地下鉄湯島駅から昌平通りの左側を秋葉原方面へしばらく歩いたところにある「地酒 居酒屋 そはら」へ。

「そはら」ってどんな意味だろう。店主の名前は「小椋哲男」さんらしいから、店主の名前ではなさそうだ。全国10万種の苗字を検索できるサイト「全国の苗字(名字)」で調べると、「そはら」という名字ならば「曽原」や「鹿原」といった漢字を使うようだが、いずれも世帯数が200未満の希少な名字らしい。今度は「曽原」で検索すると、福島県に「曽原湖」という小さな湖があるようだ。
いずれにしても、とても珍しい店名だ。

080714そはら


店内にはいると、中国系らしい中年の女性店員と店主が厨房で揉めていた。
「ショウガ焼きのお客さんより、サンマのお客さんの方が先だったのに、オカシイヨー!」
揉めているというよりも、女性店員がオーダーと料理の提供順のことで不満を述べているらしい。
「おかしいか、困ったね。“作るもの”は、多少順番が違ってしまうことがあるんだよ。ショウガ焼きが2つ注文されたとするだろう、そこにショウガ焼きがもう1人前追加されたら、3人前作るんだよ」「でも、サンマが早いっていったのに、後から来た人のショウガ焼きの方が早いの、オカシイヨー!」
前の客が女性店員の文句でも言ったのだろうか。女性店員は激しく食い下がっていた。
私はサンマ、サケ、アジから「早い」といわれたサンマを選んで「焼き魚定食(650円)」を注文。
待っている間も、女性店員は延々と不満を述べ続けていた。かなりしつこい性格らしい。
「オカシイヨー!」「困ったね」が何度も繰り返された。

080714焼き魚定食650円@そはら


卵焼き、たくわん(2切れ)、ラッキョの付け合わせ。「早い」と言った割には焼くのに時間がかかったサンマの干物は小さかった。大根と油揚げのみそ汁はかなりしょっぱい。

壁に貼ってあった色紙に「打ち立ての蕎麦が」云々と書かれていた。入り口横をみると、外から見えるように前面がガラス張りの蕎麦打ちコーナーが設えられていた。壁には長さ1メートルを超える麺棒を何本も架かっている。でも、蕎麦をのばす台は、新聞紙やコップなど大量で雑多な物が乱雑に置かれ、物置と化していた。もう、蕎麦は打たないらしい。

地酒 居酒屋 そはら
東京都千代田区外神田6-6-3

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『精神科医は信用できるか―「心のかかりつけ医」の見つけ方』和田秀樹(祥伝社新書)

精神科医は信用できるか


『精神科医は信用できるか―「心のかかりつけ医」の見つけ方和田秀樹(祥伝社新書)

著者は、とても勇気と自信のある人なのだろう。本書は、敵をたくさん作ってしまうような率直さに溢れている。

結論から言えば、日本の精神科医の多くは「信用できない」と言いたいようである。日本の精神医療に関して絶望的な記述が続く。

驚いたことに、日本では大学の多くが薬物治療がメインの生物学的精神医学を採用しており、カウンセリングの講座はほとんどないという。精神医学の治療には、薬物治療、カウンセリング、精神分析などがあるはずだが、日本の大学は研究機関として薬物治療の実験場と化しているのである。さらに、製薬会社との癒着によって、アメリカでは重大な副作用が報道されて売り上げが激減した抗うつ薬のアルプラゾラム(商品名:コンスタン)をいまだに投与しているなどの問題も指摘している。

序章では、構造改革を強力に推進した小泉首相の時代には年間の自殺者数が3万人を超え、佐藤首相時代の8年間よりも多くの自殺者を3年短い5年間で出している、と批判している。

しかし、そもそも自殺者が前年の50%も急増したのは小渕恵三内閣だった1998年であり、その後の森内閣・小泉内閣の時代も高止まりをしているにすぎない。1年で自殺者が1万人も増加する異常事態が起こった背景には、1998年から自殺者の集計方法が変更されたなどの可能性を検討する必要があるのではないか。さらに、小泉内閣の構造改革に先立って、橋本内閣で決定したいわゆる金融ビッグバンや、それ以前のバブル崩壊から続いた不況感の蔓延も無視できないのではいか。

著者は、自殺者が増加したのは中高年の「うつ病」患者が増加したためで、それは能力主義の採用と終身雇用制度の廃止によって中間管理職のストレスが増えたためであるとしている。これを小泉内閣の構造改革の影響であるとしているのだが、グローバリズムという名のアメリカン・システムを諸手を上げて歓迎したのは、小泉内閣が最初ではなかったはずだ。デファクト・スタンダードという名のアメリカ標準を盛んに喧伝しながら、あの当時に世界各地で発生していた反グローバリゼーションのうねりをほとんど報道しなかったマスコミにこそ重大な責任があるのではないか。あのころ、新興国や途上国には、アメリカによる経済支配に「NO!」と拒否する人々がたくさんいた。

第1章で、横綱朝青龍がケガを理由に地方巡業を欠席しておきながら、モンゴルでのチャリティ・イベントでサッカーをしたことで相撲協会から処分を受けた際に、友人の医師と協会が診察を依頼した2人の医師が、三者三様の診断名を出したことに対しては、彼らの目的は診断名を決定することではなく、朝青龍を治療することであり、三者ともに「モンゴルでの療養」としていた、と擁護している。その理由として、アメリカの診断基準である「DSM-IV-TR『精神疾患の分類と診断の手引き』米国精神医学会」を採用している医師が少なくないが、WHOの基準である「ICD-10」を採用している医師もおり、日本では統一的な診断基準がないことや、精神病に対する差別や偏見を避けるために「神経衰弱」という診断名が多用されてきたことなどを上げている。

しかし、序章では安倍晋三前首相が所信表明直後に辞任した理由を「うつ病」と決めつけ、差別と偏見をなくすために安倍晋三は「うつ病」であったことを告白すべきだという。相撲取りの病名はどうでもよいが、首相は国民のために病名を明らかにせよと言うのは無理があるだろう。著者は診察すらしていないのだから。

ところで、肝心の精神科医の信用性に関する話題は、第5章の「いい精神科医とダメな精神科医の見分け方」に書かれている。

見分け方として、受診前に医師のプロフィールを調べるように推奨している。出身大学のブランドではなく、どこでどれだけトレーニングをしたかが重要だという。

ほとんどの大学教授が、カウンセリングの臨床経験もなく、薬物治療しかしたことがないのであれば、大学病院を選択するのは危険だ。同じく精神病院も、かつて武見太郎に「牧畜業者」と罵倒されたように、患者を閉じ込めて薬を投与し続けるようなところも少なくないという。

つまり、大学病院や精神病院は当たり外れが大きく、しかも外れの確率が高い。そこで、もっとも当たりの確率が高いのは「総合病院の精神科で10年以上の臨床経験を積んでいる精神科医」ということになる。

また、『「良い精神科医」かどうかを見極める、6つのチェックポイント』として、以下のポイントを挙げている。

(1)初診の診察に時間をかけるか
(2)相性
(3)医者が「社会適応」を考えてくれるか
(4)状態が良くなっているか
(5)家族も医者と話ができるか、患者が良くなっているか
(6)薬の出し方をきちんと説明しているか
 ・投与の予定期間、減薬の方法
 ・薬の作用、副作用
 ・薬に対する質問にきちんと答えるか
 ・薬の種類を増やすときや変更するときに理由を説明したか

さらに、巻末には『「心のかかりつけ医」が見つかる全国優良病院66』として、著者が「まともな病院」と判断した病院を実名で挙げている。しかし、著者の出身大学である東京大学はその中に入っていない。

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昼食時は「難民」と化して「新書」を片手に、都内各地を彷徨っています。

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