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昼食難民の新書生活

(新宿・秋葉原・芝浦など各地でのランチと読書)

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『〈宗教化〉する現代思想』仲正昌樹(光文社新書)

〈宗教化〉する現代思想


『〈宗教化〉する現代思想』仲正昌樹(光文社新書)

本書で、何度も繰り返して語られるのは、本のタイトルのように「現代思想が宗教化」して哲学者や思想家が彼を〈教祖〉として崇める信奉者たちと宗教的な共同体を作っている、という指摘である。いったいどんな哲学者や思想家を想定しているのか不明だが、これだけ何度も書いているのは、誰か具体的なモデルがいるということだろうか。

あるいは、この本のタイトルは本当は逆のことを言いたいのだろうか。つまり、「宗教化する現代思想」ではなくて、宗教家が思想家を装っている「現代思想化する宗教」の危険を訴えているのか。

著者は、「真理がわかった」として集団を率いる啓蒙主義的な思想家・哲学者を批判しているが、「真理がわかった」ように振る舞うのは、哲学者というよりも、むしろほとんどすべての宗教家の方ではないのか。

「真理がわかった」と言う人間に従い、礼讚する人々については「お幸せに」とでも言うしかないが、思考停止や判断停止を受け入れる。考え続け、悩み続けるのは面倒だから、既製品の思考方法や判断を受け入れて、悩みから救われようとする人々が少なからずいるのは確かだ。

「真理がわかった」と言ってしまった時点で哲学者としては、いわば職務の放棄である。なぜなら、「何故か」という問いを問い続けることこそが哲学だからだ。

第2章以降は、著者の専門分野であるヨーロッパの社会思想史である。著者は、ヨーロッパの思想家はあらゆる事象を「善/悪」をはじめとする単純な二項対立に置き換えようとするキリスト教の影響下にあったかのように描いている。しかし、あまりに教科書的にで皮相な見方ではないか。ヨーロッパ人の思考の深層には、キリスト教以前のアニミズム的な文化があるはずだ。中近東の遊牧民族が生み出した宗教が、狩猟畑作民族の宗教を席巻したのは確かだが、マリア信仰を見るまでもなく太古の宗教=文化がヨーロッパの深層に今も息づいている。

著者は11年半にわたって統一教会の信者だったという思想史学者。

統一教会は、「十字架で死んだイエスは、『地上の王国』の王になることができず、神の救済計画は成就しなかったという前提に立って、自分たちの教祖こそが、再臨のキリストであり、地上の王になるという使命の継承者であると主張する」と書いているが、イエスの代わりに文鮮明がなぜキリストになるのか疑問に思わなかったのか。統一教会が“しっくりくる”ものだったというが、自身の統一教会体験に関する“週刊誌的”興味には答えるつもりはないとしている。

しかし、そうした特殊な体験を明らかにしている著者が書いた“宗教”に関する本だから、その体験を踏まえた、統一教会の影響を強く残した記述になるのは当然のことだろう。

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昼食時は「難民」と化して「新書」を片手に、都内各地を彷徨っています。

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