TOP > スポンサー広告 > 『シリーズ日本古代史① 農耕社会の成立』石川日出志(岩波新書 1271)TOP > 新書 > 『シリーズ日本古代史① 農耕社会の成立』石川日出志(岩波新書 1271)

昼食難民の新書生活

(新宿・秋葉原・芝浦など各地でのランチと読書)

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

『シリーズ日本古代史① 農耕社会の成立』石川日出志(岩波新書 1271)

『シリーズ日本古代史① 農耕社会の成立』


シリーズ日本古代史① 農耕社会の成立』石川日出志(岩波新書 1271)

1万年も続いた縄文時代を定義するのは難しいらしい。それに対して、弥生時代は明瞭だ。紀元前1000年前半に大陸から海外技術を伴う稲作が導入されて成立した本格的な農耕社会の時代だからである。

本書は、新しい知見に基づいて縄文から弥生への推移を解説している。

かつては、縄文時代と弥生時代について担った民族が異なるかのように説明されたが、それは違うらしい。単に、縄文晩期と弥生初期をつなぐ時代の遺跡が発掘されていなかっただけで、縄文時代から弥生時代へは漸進的に変化して行ったと見るのが正しいようだ。それには、大陸から灌漑稲作が伝わったことも大きいが、気候変動という環境要因が大きいようだ。

戦前から定説となっていた朝鮮半島から稲作技術を持って大量の弥生人が渡来し、採集狩猟民だった縄文人を駆逐していった、という説はもはや破綻しているという。弥生時代初期の文化には縄文時代後期の文化が色濃く残っていることがわかってきたからだ。戦前には、弥生初期の遺跡は見つかっておらず、弥生中期以降の文化と縄文文化との差異が際立っていたために2つの文化はもちろん担った人々も異なると考えられてきたが、縄文から弥生へは緩やかに変化していったというのが実態らしい。

縄文人と弥生人の身長差はいかに説明するのか。平均でわずか数センチの差であれば、食糧事情の変化でどうとでも説明できる。例えば、現代日本人は第二次大戦後のわずか50年ほどで体格が著しく変化している。異民族の流入によるDNAの変化ではなく、食生活や生活習慣の変化が要因だ。

しかし、縄文人と弥生人の顔の違いはどう説明するのか。著者は、これについては弥生人が現代韓国人の風貌に似ているとしか書いていない。

「農耕社会の成立」は、多数の遺跡発掘報告で語られる。しかし、あまりに詳細すぎて途中でうんざりするのは私だけではないだろう。

弥生社会からクニの成立については中国の史書を元に論を進めているが、著者は慎重すぎて仮説すら提示しようとしない。真贋論争が続く金印については考古学者は本物と疑わないと書くが、邪馬台国の位置については纒向遺跡が有力かのように書いてはいるが明言は避けている。また、漢鏡の出土位置が北九州から中国地方、そして畿内へ移動していることを示しながら、その意味についても明言はしない。慎重というよりあまりに臆病すぎるようだ。



『ヤマト王権―シリーズ日本古代史②』
『飛鳥の都―シリーズ日本古代史③』
『平城京の時代-シリーズ日本古代史④』
『平安京遷都―シリーズ日本古代史⑤』
『摂関政治―シリーズ日本古代史⑥』




関連記事

コメント

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事へのトラックバックURL
http://pasage.blog43.fc2.com/tb.php/1012-e7e5065c

 | HOME | 









ブログランキングに参加中です

リンク

お気に入りに追加
このブログをリンクに追加する

最近の記事

にほんブログ村ランキング

ブログ内検索

Loading

カテゴリー


全記事一覧(500件ごと)

カレンダー+月別アーカイブ

ケータイ版URL

QRコード

RSSフィード

プロフィール

pasage

Author:pasage
昼食時は「難民」と化して「新書」を片手に、都内各地を彷徨っています。

FC2Ad

Template by たけやん

QLOOKアクセス解析

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。