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昼食難民の新書生活

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『迷える者の禅修行―ドイツ人住職が見た日本仏教』ネルケ無方(新潮新書 404)

迷える者の禅修行


『迷える者の禅修行―ドイツ人住職が見た日本仏教ネルケ無方(新潮新書 404)

著者は、兵庫県の山奥にある曹洞宗の安泰寺住職。本書では、ドイツ人の著者が日本で1つの寺を任されるまでの半生が語られる。

幼くして医師の母親を亡くし、頼りない父親と暮らす中で、イェンス(ネルケ)少年は幼くして神の実在すら説明できない大人に絶望する。「迷える者」となった少年の危機を救ったのは坐禅だった。大学で日本学を学び、憧れの日本に留学し、本場の座禅を体験したことで出家して禅僧になることを決意する。

しかし、この国の僧侶は葬式仏教の司祭としてサービス業に堕しており、修行の場である禅堂は軍隊のように先輩が後輩をいびり・シゴく宗教とは無関係の場となっており、この国の人々の多くは仏教に無関心だった。

著者は、『正法眼蔵』や『学道用心集』から「現成公案」などの教えをとてもわかりやすく解説してくれている。修行の意味・目的を「何のためでもない。ただやることだ」とし、「仏法のために仏法を行ずる。そこに求めるものもなければ得られるものもない。今ここ、この自分に与えられた一瞬の命を生きるのみだ」と言い切っている。

「只管打坐」は「得られるものもない」という身も蓋もないところからスタートすることを教えられた。ひたすら座禅を続けても、そこから何かが得られると考えるのは間違いなのだ。難解な『正法眼蔵』という巨大建造物の扉の隙間からかすかな光が見えたような気がする。目的もなければ意味もない。ましてや得られるものなどないのだ。



■ネルケ無方の著書
『ただ坐る―生きる自信が湧く 一日15分坐禅』
『ドイツ人住職が教える 禅の教え 生きるヒント33』
『日本人に「宗教」は要らない』


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