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『イスラム―癒しの知恵』内藤正典(集英社新書 0576B)

イスラム―癒しの知恵


『イスラム―癒しの知恵内藤正典(集英社新書 0576B)

日本では、自殺者数が年間3万人を超えてニュースになっているが、イスラム社会では自殺率がとても低いらしい。自殺率が高いのは、10万人当たり35.1人で1位のベラルーシをはじめ旧ソ連諸国で、日本は10万人当たり24人で6位となっている。ところが、トルコでは自殺率が3.96人、エジプトでは1人以下だという。著者も、統計が正確かどうかという問題を指摘しているが、少なくともイスラム圏で自殺が増加して社会問題になったというニュースはないようだ。

なぜムスリム(イスラム教徒)は自殺をしないのか。著者がイスラムの自殺者が少ない理由として挙げているのは、もちろん教義によって自殺が禁じられている点である。

イスラムでは、いのちというものは神の手にある。人間が自らそのいのちを絶ってしまうのは、本来、神の手にあるべきものを人間が奪い取る行為である。それこそ、絶対者としての神を否定することになるから絶対禁止なのである。(p.16)

同じようにキリスト教やユダヤ教も自殺は禁じているが、コーランでは、自殺者は地獄で自殺方法と同じ苦しみを永遠に負わされるとしている点が違う。焼身自殺ならば地獄で永遠に焼かれ、腹をナイフで刺して死ねば地獄で永遠にナイフを腹に突き立てることになる、と教えているらしい。さらに、日本では自殺の大きな原因の1つと考えられているうつ病に関しても、ムスリムにはうつ病患者は少ないはずと書いている。

ここで当然のことながら、9・11事件や自爆テロは自殺ではないのか、という疑問が起こる。しかし、著者はイスラムを迫害するものに対する殺人や自殺は、「聖戦」と意訳されるジハード(本来は「奮闘・努力」という意味)なので、天国に行くことができるとする。そして、天国では男性には処女、女性には美少年が用意され、永遠の楽しみが約束されているという。

その処女や美少年に相手を選ぶ権利はないのだろうか、というような疑問はムスリムには起こらないらしい。人間の生き方についてすべてのことが、聖典『コーラン』とムハンマドの言行録である『ハディース』に書かれていて、ムスリムはそれをすべて真実として受け入れることになっているからだ。

著者は、自殺をしない・うつ病に罹らないのは、イスラム教に独自の「癒し」の仕組みがあるからだとしている。家族や親戚・友人を大切にし、困ったことがあれば「持てる者が持たざる者に喜捨する」ことがコーランに書かれている相互扶助・互恵社会だからだという。そのことによって、ムスリムは自ら命を断つまで1人で思い悩むようなことはない、ということらしい。

もし実現が叶わなかったとしても、当事者の能力や努力が足らなかったのではなく、神がそう定めたのであり、人間の考えが及ぶようなことではない、ということらしい。しかし、唯一絶対神への帰依といえば聞こえは悪くないが、敬典に書かれたことを丸のみする思考停止であり、「神」への責任の丸投げでしかない。逆に言えば、個人が責任を負わずに済むのだから、自殺するまで思い悩むこともないということらしい。

また、イスラムの「癒し」の例として、旅行者に親切であることなどを挙げているが、その多くはムスリムというよりも著者が住んだトルコ人の特長なのではないか。

ムスリムが大多数を占めるインドネシアやマレーシアを旅したことがあるが、インドネシアはインドという言葉が国名に含まれるようにインドとよく似ていた。旅行者に親切どころか、インドネシアの事情に無知な旅行者からいかに金を巻き上げるかが最大関心事のインドネシア人が少なくなかった。

乗合タクシーは街をぐるぐる回って他の客を全員降ろしてから目的地に到着して20倍以上の乗車料金を払わせようとしたし、町の屋台でかき氷を買おうとすると小学生の男の子までもが店主に加担して10倍の料金を払わせようとした。また、小さな国際空港から出国の際に飛行機待ちをしていると、パスポートに出国スタンプが押された後にも関わらず、出入国係官の青年がいつまでも着いてきて「金を払え」と言い続けたものだった。

日本では「嘘をつくな、人を騙すな」と幼い頃から教えられるが、インドネシアは「騙された奴は間抜けだ」というインド並みのタフな社会だった。だから、現地の物価を知らない旅行者はいいカモでしかない。

一方マレーシアでは、基本的に日本と変わらなかった。「他人の嫌がることはしない」というのが行動の基本原理だから、外国人旅行者を「騙そう」と近づいてくる輩は少ないけれど格別親切にされることもなかった。旅行者には無関心が基本だ。

インドネシア語とマレー語は実はほとんど同じ言語である。同じ宗教、同じ言語でも旅行者に対する態度はまるで違う。宗教以前の民族性の違いを痛感させられらたものだった。

終章では政教分離原則を実現した世俗主義・世俗国家に対する批判が延々と書かれている。著者は自らを「イスラム教徒ではない」と書いているが、イスラム教を擁護するあまりに民主主義国家への批判となっている。イスラム教は、唯一絶対神である「アッラー(アラビア語で神という一般名詞)」への帰依が根本であり、人間が定めた法律や制度は二の次であるからだ。それは、まるでムスリムのような言説だ。

そして、著者がムスリムのさまざまな美点を挙げたトルコは、著者が批判している世俗主義国家である。しかも、イスラム圏屈指の世俗主義国家なのである。トルコに住むムスリムに親しみを持っているが、トルコという国は政教分離原則なので気に入らない、ということだろうか。


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