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昼食難民の新書生活

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『江戸の紀行文―泰平の世の旅人たち』板坂耀子(中公新書 2093)

311東日本大震災では、東北・関東に想像を絶する甚大な被害がもたらされました。行方不明の方々が一刻も早く救出されるよう、被災者には十分な生活物資が一刻も早く届くことを望みます。放射線被曝の危険を省みず、原発事故に立ち向かっている方々には本当に感謝しています。そして、命を失われた数多く方々には衷心よりお悔やみ申しあげます。


江戸の紀行文


『江戸の紀行文―泰平の世の旅人たち板坂耀子(中公新書 2093)


本書は、これまでほとんど活字になっておらず、「文学的ではない」とされて埋もれてきた約2500もの江戸時代の紀行に光を当てたい、という著者の強い想いによって書かれている。

著者は、江戸時代を代表する紀行として、貝原益軒『木曽路記(きそじのき)』、橘南谿『東西遊記』、小津久足『陸奥日記』を挙げる。江戸の紀行として誰でも知っている松尾芭蕉『おくのほそ道』は、中世へのオマージュであり、あまりにも異色で他の誰にも継承されなかったため、「代表作」とするには当たらないということである。

松尾芭蕉が西行に憧れて奥州を旅したことは有名だが、18世紀初頭に500年前の12世紀末に西行がした旅に自らをなぞらえるという異色な演出だった。だから、『おくのほそ道』を真似るものはいなかったし、誰の紀行にも影響を与えなかった。

紀行文を書いた江戸時代の人々は、「老後の楽しみ」「子孫に伝えるため」といった理由を決まり文句のように「あとがき」などに書いているという。大それた理由ではなく、あくまで個人的な理由によって書いたというわけだ。ところが著者によれば、貝原益軒は「実際の旅に役立つ実用書」として紀行を書いた。中世と違って江戸時代の泰平の世には、旅が辛く危険なものではなくなり、娯楽として旅する人も現れたからだ。恐怖と憂いを基調とする紀行は書けなくなっていたのだ。

貝原益軒の地誌のような情報の羅列に見えるその文章は、読者に地域の情報を提供するという観察者の目で描かれている。多くの紀行が「自分の楽しみのために書いた」とする中で、貝原は明らかに読者を意識して書いた。

だから、『おくのほそ道』と違って貝原益軒の紀行は広く読まれ、読者を意識した書き方は以降の紀行作家に引き継がれていく。橘南谿は、事実よりも読み物としての面白さに力点が置き、南谿を『東西遊記』で批判した古川古松軒は正確に事実を伝えることに力点を置いた。古松軒の姿勢は、数多くの蝦夷紀行に引き継がれた。その一方で本居宣長は、個人の感情にあえて目を向けなかった益軒の紀行とは違って、雅文と俗文が混淆した文体で個人の文学としての魅力を加えることに成功した。

そして、「最高の域」に達したと著者が高く評価しているのが、『陸奥日記』などを書いた伊勢の商人小津久足の紀行である。残念ながら活字はもちろん翻刻さえほどんどない久足の紀行は、膨大な量に上るという。

自らの目で見、足で確かめ、それを言葉に書きとどめるという体験を積み重ねることによって得られるしなやかな強靭さは、論理や推論だけで構築された強力で精緻な思想や宗教に対抗し、未知の領域へと踏み出す勇気と確信を、知らず知らず人の内部に紡ぐのだろうか。(p.266)

という小津久足への賛辞は、著者の自らの学究への自負を含んでいるようにも思える。


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