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昼食難民の新書生活

(新宿・秋葉原・芝浦など各地でのランチと読書)

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『人間の往生―看取りの医師が考える』大井玄(新潮新書 403)

311東日本大震災で被害に合われた方々に十分な生活物資が一刻も早く届くとともに、1日も早く復興されることを願っています。放射線被曝の危険を省みず、原発事故に立ち向かっている方々には心から敬意を表します。そして、震災と津波で命を失われた数多く方々のご冥福をお祈りします。


人間の往生

『人間の往生―看取りの医師が考える大井玄(新潮新書 403)

著者は、東京大学医学部教授を経て国立環境研究所所長を定年退職後、クリニックの勤務医として臨床の現場で働いている。

前著の『「痴呆老人」は何を見ているか』で、認知症患者の「ぼけ」の実態に迫りつつ、「私とは何か」という哲学的な考察にまで迫ったように、本書でも人間の死について臨床医ならではの具体的な事例を紹介しつつ、往生すること、そして生の意味を考察している。

日本人の多くが望むのは自宅での死である。ところが、現在の日本では多くの人が病院で亡くなっている。老衰による「自然死」がほとんどなくなっているのだ。かつての高齢者は、徐々に食が細って最後は枯れ枝のようになって亡くなったが、今ではぶよぶよの青白い死体になるという。食べることができなくなっても栄養剤の投与で臓器の多くは生かされているからだ。

「往生」という点で、現代医療がないがしろにしている「終末の質(QOD)」の悪化について深く批判している。さまざまなチューブやセンサーに繋がれたスパゲティ症候群としての死は、尊厳ある死といえるのか。

後半は、単に終末期医療を支える医師としてではなく、高齢の前立腺がん患者として治療される側に立った視点で、生きることの意味を考えている。

私たちは自分が現実社会に存在しているつもりになっているが、私が実存しているわけではなく、私の頭の中の世界に存在するに過ぎない。自分の紡いだ「意味の世界」に住んでいるに過ぎないのだ。私の眼に見える黄色とあなたの眼に見える黄色が同じである保証はどこにもない。私やあなたの頭の中で「黄色」と呼んでいるのに過ぎないからだ。私たちは、そうした自ら構築した「意味の網」に包まれているだけなのだ。

著者は、脳科学の知見や唯識思想によって死と生を解き明かそうとしている。本書は、哲学的エッセイとしても上質な文章になっているのだ。

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昼食時は「難民」と化して「新書」を片手に、都内各地を彷徨っています。

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