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昼食難民の新書生活

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『日本人の坐り方』矢田部英正(集英社新書 0581D)

日本人の坐り方


『日本人の坐り方』矢田部英正(集英社新書 0581D)

本書は、身体技法を研究する著者が、日本人の床坐を詳しく論じている。

前半では、日本人の床坐の歴史について考察している。中世や江戸時代の絵画史料、幕末の写真から室内では男性は胡坐(あぐら)か安坐(足を組まない胡坐)が一般的で、立て膝も男女ともに一般的だったこと、外では身分の低い男性がヤンキー座り(うんこ座り)していたことを指摘している。ただし、江戸末期の絵画や幕末の写真を見ると女性は正坐していたようだ。

正坐が江戸時代には「端坐」と書かれ、「つくばう」「かしこまる」などとよばれていたらしい。正坐(端坐)が儀礼用の作法として規定されたのは、江戸幕府二代将軍秀忠のころだったという。可能なかぎり膝を横に大きく広げる胡坐や安坐は、存在を大きく見せることができるが、将軍に拝謁するもっとも格式の高い儀礼では、慎ましく膝を揃えて「かしこまった」坐り方である正坐が好ましいと考えられたからだ。

では、武家の儀礼が庶民にまで広がったのはなぜか。著者は指摘していないが、参勤交代や領内での領主の巡行が考えられるのではないか。時代劇のテレビドラマや映画では、身分の高い領主が道をゆく際には庶民は道端で地べたに正坐してひれ伏す場面がある。胡坐や立膝、うんこ座りではひれ伏すことはできない。

千利休の長男である千道安は太っていたために立て膝を点前の作法とした。また、江戸四代将軍の茶道師範を務めた片桐石州も立て膝を点前の作法としたので、少なくとも江戸初期までは茶道では正坐が作法とはなっていなかったようだ。

正坐だけが作法であるという常識は、いつごろ作られたのか。明治から大正・昭和にかけて出版された礼法に関する教科書には、正坐だけが正しい坐り方として紹介されていた。その端緒となったのは、小笠原流弓馬術礼法の28代小笠原清務が、明治13年、東京府に学校で礼法教育の重要性を説き、室町時代以来の礼法により正坐を「正式な坐り方」としたことに始まるらしい。そのため、胡坐や立て膝は「無礼な坐り方」ということになったという。

坐り方が変われば、当然のことながら身体技法が変わる。つまり、文化が変わることになる。床坐から椅子に座るようになったことは、著者の言うように日本の文化の伝統が失われたことを意味するのだろう。

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