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昼食難民の新書生活

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『ダンゴムシに心はあるのか』森山徹(PHPサイエンス・ワールド新書 03)

ダンゴムシに心はあるのか


『ダンゴムシに心はあるのか』森山徹(PHPサイエンス・ワールド新書 03)


「心」という言葉は、人間の精神的な活動として考えることが一般的だ。「あの人には心がない」というのは非情で他人を人とも思わないような行為をする人を指す。非情と書いたが、『万葉集』の多くの歌では「情」と書いて「こころ」にあてている。現代では「情」は「なさけ」とも読む。

ところが著者は、「観察者は、観察対象を未知の状況に遭遇させ、予想外の行動を観察することで、その心の存在を確かめることができます。」(p.159)とする。未知の状況に遭遇した際に、「心」の働きで予想外の行動をする、ということらしい。予想外なのは、紋切型の反応の裏に別の反応が抑圧されているからだとする。

だから、ダンゴムシはもちろん、石や製造機械といった無機物にも著者の言う「心」があることになる。確かに私たちは、機械が心を持っているかのように見做すことがある。「今日は調子が悪い」とか「機嫌が悪い」と機械に気分があるかのように感じる。

これは、私たちが普段考えている「心」とは大きくかけ離れている。そもそも「予想外の行動」とは何か。著者の実験では、設計通りの行動であり決して「予想外」ではないはずだ。

著者が「心」という言葉を使った例文として繰り返し使っている「心を込めて、あなたに贈ります」という文章は小説や手紙の中にしか存在しない。日常的には誰も決して口にしないおかしな日本語である。

著者は「心」を「未知の状況における予想外の行動の発現能」と定義しているが、「既知の状況における予想外の行動の発現能」や「既知の状況における定常の行動の発現能」、そして「未知の状況における定常の行動能」には本当に「心」を見出すことはできないのか。

プログラムされた行動ではない行為を「心」と呼ぶならば、むしろ「既知の状況における定常以外の行動」にこそ、個性が現れて「心」と呼びうる存在を感じることができるのではないか。

怒りや悲しみといった感情から発生したかのような行為を動物がすることを私たちは知っているが、それを「心」の証拠と呼んで良いのか。

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