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『「古事記」の真実』長部日出雄(文春新書 649)

「古事記」の真実

『「古事記」の真実』長部日出雄(文春新書 649)

『古事記』は太安万侶が稗田阿礼が暗誦していた神話を編纂した、と学校では習った。しかし、著者は『古事記』を実質的に編纂したのは天武天皇と稗田阿礼ではないかという。

その証拠の1つとして、『古事記』の執筆期間がわずか4カ月間だったという点を挙げている。『古事記』の序文によれば、元明天皇から太安万侶に撰緑の命が下ったのが和銅4年9月18日で、撰緑を終えて献上されたたのが翌和銅5年正月28日である。この記述が正しいのであれば、編纂作業はどう進められたのだろうか。

『古事記』序文によれば、天武天皇の命で稗田阿礼が諸家に伝えられていた『帝辞』と『旧辞』を暗誦し、それを太安万侶が聞き起こして元明天皇に提出したことになっている。しかし、書き写すだけでも4カ月弱は短すぎるのではないのだろうか。こんな短期間に『古事記』を編纂することは不可能ではないか。稗田阿礼が『古事記』全文を暗誦していたというのもかなり無理があるし、それを4カ月という短期間で文字にしたというのも無理があるように思える。実は、天武天皇の指示で『帝辞』や『旧辞』が集められ、『古事記』の原型となるテキストはすでに書かれていたのではないだろうか。

『古事記』と『日本書紀』は、記紀として2つセットで扱われることが多い。これは実は不思議なことである。『日本書紀』が正史であるのに対し、『古事記』は序文に天智天皇による「帝紀を撰録し、旧辞を討覈して、偽りを削り実を定めて、後葉に流(つた)へむと欲(おも)ふ」とあるものの、正史ではないとされる。ほぼ同時期に2つの歴史書を編纂しなければならない理由はどこあったのか。しかも、『日本書紀』の撰者は天武天皇の息子である舎人親王なのである。

森博達の『日本書紀の謎を解く』(中公新書)によれば、『日本書紀』は漢文の用法からα群(巻14-21、24-27)とβ群(巻1-13、22・23、28・29)に分けることができ。α群はおおむね正確な漢文で書かれているのに対し、β群には倭習(日本独自の漢文の誤用、奇用)が多く見られることから、前者を渡来人の執筆、後者を日本人の執筆ではないかと推定している。表記が不統一の理由はどこにあるのか。

著者は、仏教と神道、天皇の権威と権力の分離、唐楽と高麗楽だけだった宮廷雅楽への国風歌舞の追加など、2つの対立する事物を同時並列で活かす優れた知恵を持っていた天武天皇こそが、『日本書紀』と『古事記』という2つの歴史書を残す知恵を持っていたというのだが。

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