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『平安京遷都―シリーズ日本古代史⑤ 』川尻秋生(岩波新書 1275)

平安遷都


『平安京遷都―シリーズ日本古代史⑤川尻秋生(岩波新書 1275)

平安時代は、794年の平安京遷都から1192年の鎌倉幕府成立までの400年間におよぶが、本書では8世紀末から10世紀後半までの歴史を採り上げている。光仁・桓武天皇から醍醐・朱雀・村上天皇までである。

桓武天皇は、平城京から長岡京へ、さらに平安京へと2度の遷都を行っているが、それは脆弱な政権基盤を打破するために、中国の故事にならって王朝交代を印象づけるためだった。

桓武天皇の父である光仁天皇の即位によって、天武系から天智系への王朝交替とみなされているが、光仁は即位時に62歳と高齢であり、ワンポイントリリーフ的な即位だったと考えられる。しかも、即位2年後に、聖武天皇の娘である井上皇后と他戸親王が、光仁天皇を呪詛した罪を問われて幽閉され、2年後、同日に亡くなっている。そこで、光仁天皇と高野新笠の息子山部親王(のちの桓武天皇)が立太子することになったのである。

また、桓武天皇の即位直後には、聖武天皇と県犬養広刀自の娘である不破内親王と天武天皇の息子新田部親王の息子塩焼王の息子氷上川継が伊豆国に流されている。川継にも天皇になる資格があったと考えられるが、これによって天武系の親王は絶えてしまった。

こうしたなかで、桓武天皇は仏教勢力や貴族の軛から逃れるため、是が非でも天武系天皇が造営した平城京を捨てる必要があった。難波津と水運の便が良い長岡京に遷都した。長岡京は幻の京都とされてきたが、近年の発掘調査によって徐々に本格的な京を作ろうとしたことがわかってきた。ところが、桂川と小泉川に挟まれ、中央を小畑川が流れる長岡京が水害に見舞われたため、遷都後10年を経ても完成しなかったという。

そこで、平安京へと遷都することになったのである。

平安時代は、その後の日本の「文化」の基層を形作ったといわれる。少なくとも、明治の初めまで、平安時代の延長上に生きているという意識があったという。その証拠に冒頭で明治4年の勅を紹介している。明治天皇は、それまでの天皇の服装が「唐風」であるとして、洋風に改めるために勅を発している。それまで、明治天皇は白粉・お歯黒の平安貴族の出で立ちだったのである。

だから、著者は貴族政治だけでなく「通史であるからには、在地社会や民衆の問題も扱うべき」という判断で、天皇家と藤原氏による皇位継承闘争と摂関政治、エミシへの攻撃、最澄と空海による密教の招来、王朝文化、将門・純友の乱、武士の誕生、租税制度の変化、そして庶民の生活までと、本当に幅広く論述している。



『農耕社会の成立―シリーズ日本古代史①』
『ヤマト王権―シリーズ日本古代史②』
『飛鳥の都―シリーズ日本古代史③』
『平城京の時代-シリーズ日本古代史④』
『摂関政治―シリーズ日本古代史⑥』



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