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昼食難民の新書生活

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『うほほいシネクラブ―街場の映画論』内田樹(文春新書 826)

うほほいシネマクラブ


『うほほいシネクラブ―街場の映画論内田樹(文春新書 826)

本書は、読売新聞に連載した映画評やブログなどで発表された記事をまとめたもの。新書なのに400ページにおよぶ大部だが、平明で夾雑物のない読みやすい文章なのでサクサク読める。

内田の小津安二郎作品への傾倒ぶりも面白いし、ジョン・ウォーターズのようなお馬鹿映画への偏愛ぶりも楽しい。映画の宣伝屋と化している“映画評論家”とは、一味も二味も違う映画評を楽しむことができる。

内田の評論が面白いのは、分析の視点が明晰でかつ切れ味が鮮やかだからだ。本書でも187本の映画について、斬新な分析を展開している。もちろん、採り上げられている映画の半分も観ていない。それでも楽しく読めるのは、映画の構造に深く斬り込んで分析しているからだ。

たとえば、『スーパーマン リターンズ』をCCM(コンテンポラリー・クリスチャン・ミュージック)から説き起こして、最終的にはスーパーマンは中西部の保守層に待望されているキリストの再来であるといった解釈はこれまで読んだことはない。

また、アメリカ映画におけるミソジニー(女性嫌悪)についての記事は、内田のホームページで読んだことがあったが、1990年に公開した『ホームアローン』のようなお子様映画がアメリカにおける絶対的な禁忌である母親への憎しみを表現しているなんてことは考えたこともなかった。確かに子供を置き去りにしてヒステリックに叫ぶ母親の姿は、マンガチックとはいえ嫌悪を催すばかりだったが、あれは母親への憎悪を募らせているアメリカ国民のためのガス抜きみたいなものなのだろう。

もちろん『ホームアローン』以前に、アメリカ映画が母親への憎悪を描かなかったわけではない。1980年に公開されたロバート・レッドフォード監督は『普通の人々』では、溺愛していた長男を亡くした悲しみを怒りに変えて次男に辛く当たる母親を醜く描いていた。アメリカのフィルムメーカーたち(内田は、監督・俳優・カメラマンなど映画製作に携わる人々だけでなく、評論家など映画産業に関係する人々すべてをこう呼ぶ)には、感情を制御できない愚かな母親を描くことで、憎むべき母親を超克しようとしているらしい。

どうでもいいけど、なぜか『ジュラシックパーク III』はタイトルと監督・出演者しか書かれていない。記事が欠落したのか、元々書いていないのか。いずれにしても、新書にする際になぜ削除しなかったのだろうか。


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