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『古代国家はいつ成立したか』都出比呂志(岩波新書 1325)

古代国家はいつ成立したか


『古代国家はいつ成立したか』都出比呂志(岩波新書 1325)

一般に日本で最初の古代国家は、710年の平成遷都によって成立したとされる。

これに対して、著者は古墳時代に「初期国家」が成立したと提唱している。初期国家というのは、氏族社会から国家への間をつなぐ段階として欧米の人類学者たちが提唱した概念である。

本書では、この「初期国家」を説明するため、他の考古学者の学説はもとより文献史学の知見も幅広く紹介しつつ、弥生時代からヤマト王権までの国家の成立過程について詳しく述べている。

まず、環濠集落の変遷から、古墳の発達史が丁寧に説明される。

弥生時代の環濠集落は都市だったのか。著者は都市とは「生活の基盤を外部に依存する社会である」として次のように定義している。

(1)政治センター・宗教センター・経済センターの機能を併せ持つ
(2)王や役人、神官や僧侶、手工業者や商人など農民以外の多数の住人がいる
(3)人口が極度の密集した結果自給自足できなくなり、食料や生活必需物資を外部の遠隔地に依存する

環濠集落の構造、住居間の格差、租税制度によって大量の食糧が蓄えられた倉庫といった考古学的成果から、巨大環濠集落は、政治・宗教・経済のセンター機能を持っているが、住民の大半は農民で食料の主要な部分と生活必需物資は環壕集落の外側に広がる耕地の収穫物でまかなうことができるため、「都市」と呼ぶのは難しいとして、「城塞集落」と呼びたいとしている。

ところで、前方後円墳は、円墳や方墳の環濠に設けられた橋が祭式の場として変形したものであると著者はいう。

そして、3世紀から7世紀まで造られた前方後円墳には、3回の大きな転換期があるという。著者は、国家形成が進む中で大きな政治変動があったと見ている。

1回目は、4世紀末から5世紀初頭にかけてで、大仙陵古墳(仁徳天皇陵)や誉田御廟山古墳(応神天皇陵)などの巨大前方後円墳が河内地方に造られるようになったのと歩を合わせるように、全国各地で地方の有力首長の盟主墳の系譜が移動しているという。これは何を意味するのか。著者は、次のように考えている。

大和東南部を根拠地とした政権中枢と、これを支える地方の有力首長の同盟が弱体化し、河内に拠点をもつ政権中枢とそれを支える地方有力首長の同盟が、四世紀末から五世紀前半に政治的イニシアティブを奪ったのだと考えることができます。(p.95)

2回目は、5世紀に全国で多くの有力首長系譜が断絶して空白となり、5世紀後半に別の系譜が巨大な前方後円墳を築き始める。著者は、雄略大王の登場と関係があると見ている。埼玉県の稲荷山古墳と熊本の江田船山古墳から出土した鉄剣に雄略大王とされる獲加多支鹵(ワカタケル)大王の銘があるが、いずれも5世紀後半にに出現した古墳である。

銘の内容から、雄略大王の時代には官人が存在して中央集権体制による国家形成が進んでいたと考えられるという。

3回目は、6世紀前半に起こった変動で、多くの系譜で盟主墳の断絶が起こっているが、2回目の変動で断絶した系譜が復活している例が多い。つまり、雄略大王による中央集権化による体制が崩れて、旧体制による揺り戻しが起こった結果であるという。

最終章では、「日本列島に国家はいつ成立したか」について詳しく論考している。ここで「初期国家」という概念が改めて説明されている。

(1)階層社会が基礎
(2)階層社会を生むほど多くの人口を擁している
(3)恒常的な余剰がある
(4)血縁ではなく地縁原理が支配的
(5)社会の分裂を回避しする強制力ある政府をもつ
(6)中央政府がある
(7)支配の正当性を支える共同イデオロギーをもつ社会段階

この「初期国家」が成立したのが、鉄剣にワカタケルと刻まれた雄略大王の時期だという。『宋書倭国伝』に書かれた倭の五王のうち、2番目の珍と3番目の済は自らを安東大将軍・倭国王と任命することを求めただけでなく、他の首長をも将軍とするように要求している。ところが、雄略大王とされる倭王武は自らを安東大将軍・倭国王に任命するように求めただけで、他の者の将軍任命は求めていない。つまり、権力の集中による大王体制が確立していたと見る。

また、雄略大王の時期には、典曹人や杖刀人などの文官・武官が誕生していて、官人組織が成立していたとみられ、巨大倉庫群遺跡が出土していて租税徴収機能が整っていた。

さらに、5世紀後半には前方後円墳の分布範囲が南は鹿児島県から北は岩手県まで最も拡大している。大王制・官人性・軍制・租税制が成立していたことから、著者は古墳時代の5世紀からを「初期国家」としているのである。


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