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昼食難民の新書生活

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『秀吉神話をくつがえす』藤田達生(講談社現代新書 1907)

秀吉神話をくつがえす


『秀吉神話をくつがえす』藤田達生(講談社現代新書 1907)

下克上の時代を代表する豊臣秀吉。貧しい百姓の生まれから天下人となった秀吉の神話は、生前に原型が成立していたといわれる。御伽衆の大村由己が秀吉の存命中に書いた軍記物『天正記』や能『吉野花見』『明智討』『柴田討』などでは、秀吉の偉大さを強調し豊臣政権の正当性を訴えている。さらに、江戸時代の儒学者の小瀬甫庵によって秀吉神話は『太閤記』という文学になった。

しかし、秀吉の言動の数々には戦国武将としても不自然で強烈な「あざとさ」がある。それが武家出身ではない者が出世するための処世術だったのか、武士には出来ない自由な発想によるものだったのか、いずれにしても昔からずっと不思議に思っていた。

本書は、秀吉神話のなかから、出生の秘密、大出世、本能寺の変、中国大返し、豊臣平和令の5点について数多くの文献から検証しようというものである。

まず出生の秘密。秀吉は出生について後胤説や日輪受胎説を流布させているが、これは自らの権威を高めるための単なる嘘だろう。では、本当に百姓のせがれだったのか。建築史家の宮元健次は『名城の由来--そこでなにが起きたのか』の中で、秀吉による卓越した築城技術は、石工などの技能集団との深いつながりによるものではないかと示唆している。秀吉が文献史料に登場するのは28歳。18歳で織田信長に仕官したことになっているから、その間の10年間は、文献に全く触れられていない。宮元は、15歳で家を出たとされる秀吉が、技能集団と共にあったのではないかと考えているのである。

本書では、後に秀吉が唱える後胤説や日輪受胎説を裏付けるために父親の存在が消されていると書いているが、28歳で史料に登場するまで秀吉がどこで何をしていたかについては、史料がないため全く検討すらされていない。

異例の大出世についても、中世では珍しく合理的な思考をもっていた信長が能力主義による抜擢をしたのだ、という見解を否定するほどの根拠は示されない。

本能寺の変を秀吉は事前に知っていたのではないか、というのも権謀術策に長けた秀吉ならば当然のことだろうし、知らなかったら中国大返しは不可能だったはずだ。

豊臣平和令については、最近の教科書では秀吉が「惣無事令」によって戦国武将間の戦争を停止し、平和をもたらしたと書かれていることへの批判だが、秀吉の功績を評価しようとしている藤木久志への批判というか論争である。

結局、秀吉神話がくつがえるほどではなかったが、秀吉の天下統一は信長が計画したさまざまな施策を引き継いだものだという点はわかった。

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