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『魏志倭人伝の謎を解く―三国志から見る邪馬台国』渡邉義浩(中公新書 2164)

魏志倭人伝の謎を解く



『魏志倭人伝の謎を解く―三国志から見る邪馬台国渡邉義浩(中公新書 2164)


著者は『三国志―演義から正史、そして史実へ』(中公新書)を執筆している中国の三国時代の研究者。本書は、その存在を記した「魏志倭人伝」(『三国志』魏書「巻三十 烏桓・鮮卑・東夷伝」倭人の条)から、邪馬台国の謎を明らかにしようとするものである。

なぜ倭人は入れ墨をしていて、なぜ邪馬台国は中国の東南海上に描かれ、なぜ実際の距離よりも遠くに描かれたのか、など「魏志倭人伝」の虚実を史料から検証している。

【目次】

第一章 倭人伝と邪馬台国論争
第二章 倭人伝の執筆意図
第三章 倭国を取り巻く国際関係
第四章 理念の邪馬台国
第五章 邪馬台国の真実
附章 魏志倭人伝 訳


著者は、倭人伝には、「使者の報告などに基づく部分と、史家の持つ世界観や置かれた政治状況により著された観念的叙述の部分とがある」という。『三国志』の著者の陳寿は蜀漢と西晋に仕えた官僚であり、あからさまではないが蜀漢を利する意図があったとする。

著者のような『三国志』の隅から隅まで知っている研究者が分析すれば、考古学者による見解とは違った結論を導くことになるのは容易に想像できる。

邪馬台国論争で問題となった邪馬台国までの方位については、呉の背後にある蜀の友好国という位置づけから中国の東南海上にあったという。そのため、邪馬台国に入れ墨など南方の風習を描かれることになったのだ。

また、邪馬台国までの一万二千里という距離については、卑弥呼と同じく「新魏王」を冠された大月氏国(クシャーナ朝)が西に一万六千里だったことと釣り合いを持たせるためだったとする。

『三国志』の執筆に政治的な意図があったとするならば、「倭人伝」にも政治的なバイアスが掛かっていて当然である。こうした分析は、『三国志』のみならず、著者である陳寿が読んでいた『史記』『漢書』『春秋三伝』『礼記』『尚書』『周礼』といった書籍をはじめ、中国の史書の知識がなければ指摘できないだろう。

巻向遺跡の発掘や箸塚古墳によって、邪馬台国は畿内説が有力であることは明らかになりつつある。


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