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昼食難民の新書生活

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『ただ坐る―生きる自信が湧く 一日15分坐禅』ネルケ無方(光文社新書 589)

ただ坐る


『ただ坐る―生きる自信が湧く 一日15分坐禅ネルケ無方(光文社新書 589)


「ただ坐る」とはもちろん道元が唱えた「只管打坐」のことである。

本書は、兵庫県の山中にある安泰寺の住職であるネルケ無方による坐禅のハウツー本である。ちなみに、前著の『迷える者の禅修行―ドイツ人住職が見た日本仏教』では、ドイツに生まれた著者が安泰寺の住職になるまでの半生が綴られていた。

本書は、道元『正法眼蔵』の「坐禅儀」を中心に、瑩山紹瑾『坐禅用心記』やネルケの師匠・沢木興道『禅に聞け』などを引用しながら坐禅の仕方を、食事や服装、姿勢や所作など具体的に詳しく教えている。

【目次】

第1章 坐禅との出会い
第2章 なぜ今、坐禅を?
第3章 まず、頑張りすぎないこと
第4章 環境をととのえる
第5章 坐禅に向かう態度
第6章 坐禅に必要なもの:座布団、衣服
第7章 調身―身体をととのえる
第8章 調息―呼吸をととのえる
第9章 調心―心をととのえる
第10章 禅と実生活;付録「坐禅儀」


安泰寺では、年間1800時間もの坐禅を実践しているという。

しかし、坐禅をしても「何もならない」と著者は断言する。

坐禅は瞑想ではない。仏のイメージを浮かばせたり、慈悲の祈りをしたり、無常を感じる、瞑想している自分自身に気づく、といった瞑想法には坐禅プラス・アルファがあるが、道元の教える坐禅はただ坐り、坐になりきることだからだ。

瞑想ではないとしたら、坐禅中の心も持ちようはどうすべきなのか。

著者は、「坐禅儀」にある「非思量」という言葉がキーワードだという。考えることを否定する「不思量」ではなく、無理やり「無念無想」という状態を引き起こしたり、昏睡状態に似た「無心」になることではない。もちろん、坐禅は思考停止ではないから、雑念が湧くこともある。それを「放っておく」のが「非思量」なのである。

著者は、羊の群れと羊飼いを例に説明している。羊飼いが羊たちを管理しようとすればするほど、羊の群れは暴れてしまう。羊飼いを一休みさせ、「私」が牧場の芝生全体となって、群れに手を出さず静かに見守れば、羊も落ち着くとしている。

1日15分間の坐禅を勧めているのは、座禅をすることで考えない時間を作り、常に想念が渦巻いて頭でっかちになっている生活に“軸”を与えることができる、というのだ。

人間の一生も、結局、何かになるようなものではないが、「何にもならない」一生をただ生きることが重要である。ただ生きることに自信を持つには、この一生をただ生き抜くというキモが据わっていなければならない。

だからこそ、「何にもならない」坐禅が、その“軸”を与えてくれるというのだ。




■ネルケ無方の著書
『迷える者の禅修行―ドイツ人住職が見た日本仏教』
『ドイツ人住職が教える 禅の教え 生きるヒント33』
『日本人に「宗教」は要らない』


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