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『名画に隠された「二重の謎」―印象派が「事件」だった時代』三浦篤(小学館101ビジュアル新書 V023)

名画に隠された「二重の謎」―印象派が「事件」だった時代


『名画に隠された「二重の謎」―印象派が「事件」だった時代三浦篤(小学館101ビジュアル新書 V023)


著者は、東大教授の美術史家。タイトルに「二重の謎」とあるが、謎が2つあるわけではないし、それぞれの項のタイトルを「事件」としているが、もちろん犯罪に関わるような謎を解明しているわけではない。とはいえ、印象派の登場が西洋美術史にとって「事件」であったことは間違いないし、それぞれの絵画に謎を発見し、解明していく過程が面白い。

【目次】

第1章 謎は細部に宿る
   ケース1-1 マネのためらい―「残された二つの署名」事件
   ケース1-2 アングルの予言―「ヴィーナスの二本の左腕」事件
   ケース1-3 クールベの告白―「二人の少年の冒険」事件
第2章 映し出された謎
   ケース2-1 ドガの情念―「見捨てられた人形」事件
   ケース2-2 ボナールの幻視―「鏡の間の裸婦」事件
   ケース2-3 マティスの緊張―「闇に向かって開かれた窓」事件
  第3章 名画の周辺に隠された謎
   ケース3-1 ゴッホの日本語―「右側と左側」事件
   ケース3-2 スーラの額縁―「内側と外側」事件
   ケース3-3 セザンヌの椅子―「右側と左側」事件再び


最初は、マネの「笛を吹く少年(本書では『笛吹き』と表記)に残された2つの署名について。

349px-Manet,_Edouard_-_Young_Flautist,_or_The_Fifer,_1866_(2) マネ 部分

「笛吹き」は、発表当初は「版画のようだ」や「ダイヤのジャック」と揶揄されたほど、影や濃淡を廃した平面的な表現で西洋絵画の常識を覆したという。以前は、署名は1つだとされていた。1986年に、オルセー美術館で黄変したニスを取り除く修復をしたところ、右下に灰色を塗り重ねた部分が見つかり、それを取り除くと右下隅に2つ目の書名が発見されたのだ(残念ながら、Wikipediaの画像はその部分がトリミングされていて、2つ目の署名のごく一部しか見えない)。

「印象派の父」と呼ばれるマネの「笛吹き」は、本物を単に写しとるのではなく、遠近法や濃淡、影を徹底して廃した画期的な実験作だったのだ。そして平面化した構図に立体感を出すため、左足先と並行に一見したところ床の汚れにも見える署名を書いた、ということらしい。

二次元の平面上に三次元の空間を巧みに表わすのが伝統的な絵画であったが、絵は最終的に平面的なイメージでしかないと思い定めたのがマネである。(p.182)

2つの署名の謎だが、①マネが右下隅の署名を自ら消した ②後世の誰かが右下隅の署名を消した、のどちらかだが、残念ながらこの「謎」は解明されていない。

続いて、アングル「パフォスのヴィーナス」では2本の左腕に、新古典派とされ写実的な表現の画家が形態を自由にデフォルメ・コラージュするフォービズムの萌芽を見ている。クールベ「画家のアトリエ」では伝統的な歴史画に見えて目立たない2人の少年に無垢や素朴さといった新しい美意識を発見している。

続いて、ドガ「男とマネキン人形」、ボナール「逆光の裸婦」、マティス「コリウールのフランス窓」、ゴッホ「日本趣味、雨中の橋(広重による)」、スーラ「グランド・ジャッド島の日曜日の午後」、セザンヌ「カード遊びをする人々」といった誰でも知っている印象派の名画に潜む謎の解明に挑んでいる。

印象派が登場した背景について本書ではなぜか触れていないが、写真技術の登場が西洋絵画の歴史を大きく変えたことは明らかだだろう。短時間で本物そっくりの「肖像」を生み出せる写真が登場したことで、肖像画の需要が激減し、画家にとっては死活問題になっていたはずだ。それと同時に、本物そっくりという点で写真に叶わない絵画を描くことの意味を画家たちは考えなければならなくなったはずだ。

19世紀フランスとは、絵画が絵画を意識した時代であったと思う。優れた画家は皆、絵画を構成する形式的な要素に敏感に反応した。絵が何でできていて、どのように描かれ、何を目指すのかという問題に、各々の画家が各々の観点から取り組んだ成果が作品にほかならない。(中略)ある主題を三次元空間に展開する物語的、逸話的な場面として、写実的に描写する伝統的な絵画が、徐々に崩壊への道を歩んでいた。(p.186)

写真を越える存在意義を示すため、絵画はデフォルメやコラージュが自由になった一方で、上手い下手という技術とは異なる子供のような感受性が必要になった。

現実再現ではなく、自由な感性を媒介にして色彩と形態で作られるものこそが絵画であることが、次第に明瞭になっていったのである。(p.186)

本書は、9人の印象派画家の名画の分析を通して、すぐれた印象派史にもなっているのだ。



■関連新書
『印象派の誕生―マネとモネ』吉川節子
『「農民画家」ミレーの真実』井手洋一郎



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