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『ヘタウマ文化論』山藤章二(岩波新書 1415)

ヘタウマ文化論



『ヘタウマ文化論』山藤章二(岩波新書 1415)


本書は、毒があるけど洒脱でウマいイラストを描いてきた著者による日本文化論的エッセイ。

【目次】

オモシロいって何だ
ヘタに賞だと?
ヘタウマとの出会い
糸井重里という思想
江戸テインメント
駄句のこころざし
談志が出来なかった芸
ピカソは途中でやめなかった
昔の物真似
モノマネ維新
シンボーひまなし
伊東四朗のユウウツ
山口瞳を呼び戻したい
日本文かを活ってみた
「日本漫画」が消えた
「文春漫画賞」かけあ史
ミスター・ヘタウマ・東海林さだお


ヘタウマという言葉は1960年代後半からあったという。著者は、湯村輝彦、安西水丸、渡辺和博たちが描いたヘタウマのイラストに衝撃を受けた。

確かに、テリーこと湯村輝彦の人物イラストは線が汚くて乱暴なので一見するとプロが描いたようには見えない。

しかし、彼らのイラストは、ルソーやピロスマニのような素朴派(多くは専門教育を受けていない素人画家)と違ってデッサンが狂っているようなことはない。キュービズムに到達する前のピカソがそうであったように、美術の専門教育を受けてしっかりしたデッサン力があるからだ。

「ヘタな人間」が「ヘタ」に描くのはやさしい。しかし「ウマさを志した人間」や「ウマい技術を身につけた人間」が、「ヘタに見える絵」を描くことは非常にむずかしい。(p.82)

著者は、あるとき飯沢匡から「このあいだの絵は”破風“でいきましたね」と言われたという。神社や寺の屋根の話ではない。わざと乱暴に、ヘタに見せる画風のことだという。

武者小路実篤の絵と文字、画面からはみ出している棟方志功の版画、片岡球子の“面構え”シリーズ、須田剋太の「街道をゆく」の挿絵と例を挙げられて、「日本人の文化観の中にはヘタウマを受容する感覚が昔からあったのだ」著者は悟る。日本文化に「ヘタさ」という括りを見つけたのだ。(p.151)

外国漫画は「オモシロくないけど、絵の力はある」と彼我の差を語った後で、「日本の文化土壌はゆるい」と書いている。アメリカの漫画家は、美術の専門教育を受けてデッサン力を身につけてから漫画を描くようになるが、日本では編集者から「オモシロい」と認められれば絵のウマさとは関係なく作品を雑誌に掲載してもらえるからだ。

そして、著者が“ミスター・ヘタウマ”と呼ぶ東海林さだお論で締めくくられる。東海林さだおは55年以上にわたってサラリーマン物の漫画を描き続けているが、絵は一向にウマくならない。これは意識的にヘタに描いているからだという。

確かに50年も漫画を描いていれば誰だって少しはウマくなるはずだ。エッセイに添えられた料理や食べ物の絵が、細かく観察し細部まで几帳面に描き込まれていてうまそうなのは、東海林は絵がウマい証拠だという。

ところが、サラリーマンのオフィスの机は極端に省略されたコントのような四角い箱に描かれている。東海林はちゃんとウマく描けるのに、意識的にヘタに描いているのだ。

実は本書は、東海林さだおに捧げる礼賛と羨望の書なのだった。



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