TOP > スポンサー広告 > 『日本と中国―相互誤解の構造』王敏(中公新書 1966)TOP > 新書 > 『日本と中国―相互誤解の構造』王敏(中公新書 1966)

昼食難民の新書生活

(新宿・秋葉原・芝浦など各地でのランチと読書)

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

『日本と中国―相互誤解の構造』王敏(中公新書 1966)

日本と中国―相互誤解の構造 (中公新書 (1966))


『日本と中国―相互誤解の構造』王敏(中公新書 1966)

著者は在日30年に及ぶ中国人の日本研究者。

第1章から第4章までは、主に国字や季語といった日本語の特徴を分析することで、非常に優れた日本語論から日本人論を展開している。ルース・ベネディクトにはじまり、イザヤ・ベンダサン(山本七平だが)や呉善花、ポール・ボネ(藤島泰輔だが)、エズラ・ヴォーゲル、など、外国人による日本人論は数々あったが、自然と日本人の関係についてこれほど深い分析はなかったといえるのではないか。

しかし、本書では「相互誤解の構造」は論じていない。テーマは、日本語と中国語の比較であり、そうした日本語を使う日本人の心理や行動を解明する日本人論である。

著者は、相互誤解の根底に「同文同種」があるという。漢字という同じ文字を使用している日本人と中国人は同じ文化を有している、とする誤解に陥っているというのだ。しかし、中国人を「同文同種」と考える日本人はほとんどいないだろう。著者が何度も書いているように、中国人は日本を漢字という文字を伝えた「中国文化の亜流」と見做してきたということだろう。著者は書いていないが、千年以上にわたって「中華」に対する「東夷」として見下してきた日本が、明治以降の近代化に成功し先行したことが悔しいという嫉妬もあるかもしれない。

著者は、日本人の特徴を「感性」だという。四季折々の気候変化や数多くの渓谷が山を削る細やかな地形が、人間も自然の一部であるという「自然融合感」を作ったと考えている。

外国人には到底理解できない日本人の死生感(観ではない)の例として、宮沢賢治の『烏の北斗七星』の一節を採り上げている。山烏との戦いで敵を破った主人公の烏は、「どうか憎むことのできない敵を殺さないでもいゝやうに早くこの世界がなりますやうに、そのためなら、わたくしのからだなどは、何べん引裂かれてもかまひません」と祈る。

殺した敵を涙して丁重に葬るのはなぜか。烏の心境にようやく接近することができたのではないかと一瞬思えたのは、日本での研究を始めて10年を経たころだったという。

日本人の死生感が良く現れている作品として、宮崎駿のアニメを例に挙げている。宮崎アニメはどれも悪行には厳しいが、悪人には寛大な慈愛に満ちていると見ている。
「人間の弱さを認め、そこからの再生と昇華を支援するのは日本列島の文化の本能のようになっている。(略)中国や西洋の正義追求型の文化は、正しい言動を実行する善人をつねに求めている。それにあてはまらない場合、間違いとして詰問したり糾弾したりする。(略)したがって善悪の原理原則をわきまえない人物をときには赦す日本文化が歯がゆい甘さと映るわけである。」

日本人が育んできた自然との共生の思想が大事だという。「紛争の絶えない現在、生きとし生けるものを等身大にあつかう日本文化」は世界に向かって発信されるべきだというのだ。

関連記事

コメント

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事へのトラックバックURL
http://pasage.blog43.fc2.com/tb.php/166-b06e9b9b

 | HOME | 









ブログランキングに参加中です

リンク

お気に入りに追加
このブログをリンクに追加する

最近の記事

にほんブログ村ランキング

ブログ内検索

Loading

カテゴリー


全記事一覧(500件ごと)

カレンダー+月別アーカイブ

ケータイ版URL

QRコード

RSSフィード

プロフィール

Author:pasage
昼食時は「難民」と化して「新書」を片手に、都内各地を彷徨っています。

FC2Ad

Template by たけやん

QLOOKアクセス解析

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。