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『日本軍と日本兵―米軍報告書は語る』一ノ瀬俊也(講談社現代新書 2243)

日本軍と日本兵


『日本軍と日本兵―米軍報告書は語る一ノ瀬俊也(講談社現代新書 2243)


著者は『皇軍兵士の日常生活』で、第2次大戦中の差別され悲惨な生活を送っていた旧日本兵の実態を公文書や日記、私信を渉猟して明らかにした。

本書は、1942年から1946年にかけて、下級将校と下士官向けに配布された米軍の月刊広報誌『Intelligence Bulletin(情報広報)』を読み解き、当時のアメリカが日本軍と日本人をどうとらえていたかを探っている。

【目次】

第一章 「日本兵」とは何だろうか
第二章 日本兵の精神
第三章 戦争前半の日本軍に対する評価
     ―ガダルカナル・ニューギニア・アッツ
第四章 戦争後半の日本軍に対する評価
     ―レイテから本土決戦まで


『Intelligence Bulletin』では、日本人を次のように分析していた。

・日本人はLとRの区別がつかないので、それらが入った文章を言わせて中国人と区別する(現在でも、欧米人は日本人が話す英語を「Engrish」と馬鹿にしている)。
・日本兵は、規律は守り準備された防御では死ぬまで戦う一方で、予想していなかったことに直面するとパニックに陥る。
・日本兵は、自分で物を考えない。
・日本兵は、さまざまな不平不満を抱えていて、投降させることもできる。

これらは現在でも変わらない日本人の特徴と言えるのではないか。

緒戦で敗退した米軍にとって、日本兵は得体のしれない存在であるだけでなく、卓越した肉体を持つ「超人」であるという神話が醸成されていたらしい。

1943年には『日本兵超人神話の崩壊』という16ページのパンフレットが配布され、ガタルカナル島やニューギニアでの実践経験に基づいて、なぜ日本兵は「超人」ではないかを説明しているという。狙撃が下手で、音もなくジャングルを移動することはなく、十分な備えをすれば夜襲も恐れることはなく、わずかな食料で長期間戦えることもなく、マラリアなどの熱帯病に罹る、という日本兵もアメリカ兵と同じ人間である、という当たり前の事実の確認から始めなければならなかったのだ。

接近戦について面白い指摘がある。日本兵の銃剣術は一撃で敵を殺す単純な「突き」ばかりで、銃床による打撃は少なかったという。これに対し、欧米では銃床による打撃を銃剣術の訓練に採り入れていた。そのため、1943年に陸軍戸山学校で行われた米・英・カナダ兵の捕虜との銃剣術の試合で敗れた日本兵もいたという。接近戦では彼我の体格差が勝敗を分けてしまうのに加え、「突き」ばかりで攻撃する日本兵は芳しい結果を出せなかった。このことを知っていたためか、日本兵は白兵戦を避ける傾向もあったという。

『Intelligence Bulletin』は、日本兵の精神や意識、士気や死生観、性の問題についても詳しく分析している。

捕虜となり1年後に解放された米軍軍曹の観察では、同じ日本兵でも都会出身者と田舎出身者で温度差があったという。都会出身者は映画などを通じて親米的であり、戦争を倦み呪っていて戦死して靖国神社に祀られることを望んでいないが、田舎者は殉国イデオロギーに染まっていて靖国神社に祀られることが最高の名誉だと考えていた、と分析している。

勝新太郎主演の映画『兵隊やくざ』シリーズでは、入隊したばかりの初年兵は、奴隷のように働かされ、理不尽にも古参兵から鉄拳制裁を受け続ける状況を描いていた。「好戦的で高圧的な職業軍人の将校・下士官・古参兵」対「厭戦的で従順な徴兵された兵」という単純な構図に、懲役か軍隊の選択を迫られて入隊したやくざ上がりの勝新が反抗する、というストーリーが毎回繰り返された。

「1年奴隷、2年人間、3年天皇、4年神様」と、体育大学の学生から聞いたことがある。その体育大学では、運動部を退部することは大学退学を意味するから、1年生の間は上級生のしごきやどんなに理不尽な注文にもひたすら堪えるしかない、ということだった。そんな愚かな慣習は止めればいいのにと考えるのが普通だが、奴隷から人間になるとヒトは容易く不合理で理不尽な態度をとれるらしい。大学の運動部が軍隊式と言われる所以だ。

元捕虜の軍曹は、日本軍の戦地における死者の弔い方についても詳しく報告している。3×8フィート(0.9×2.4メートル)の穴を掘り、木を詰めて遺体を置き、その上に木を置いて火葬していたという。中隊全員が礼装で整列し、隊長の演説後に焼香していたという。こうした葬式を除き、宗教的儀式を催したことは1度もみたことも聞いたこともない、と書かれている。著者は、「日本軍ほど宗教性の薄い軍隊は世界史的にみると実は異質な存在なのかもしれない」(p.92)と指摘している。

日本軍では戦死者が手厚く葬られる一方で、戦傷者や病人は苛烈な扱いをされた。撤退の際に歩けない者は置き去りにされ、引き金を引ける者は自死することが指導された。

日本兵は、捕虜になれば米軍に殺されると教育されていたためと、東条英機が制定した『戦陣訓』の「生きて虜囚の辱めを受けず」によって捕虜になる者は少なかった。しかし、米軍は日本兵を捕虜にすることは自軍の損害を少なくするだけでなく、日本軍の士気を下げる効果があると認識していた。そのため、投降兵を殺さないように指示し、捕虜に拡声器を用いて投降を呼びかけさせたり、自陣に戻り仲間を連れて投降させたりした。

このとき、米軍が利用したのが日本人の「貸し借り」に関する考え方だったという。日本人は大きな借りを受けると、同等以上を返さなければ「恥」であるとする傾向があると看破していたのだ。投降すれば殺されると教えられていたのに、命を救われ厚遇された日本兵は、積極的に米軍に協力して情報を提供し、味方の兵を連れ帰る任務も志願した。しかも、ほとんどの場合に米軍のもとにちゃんと戻ってきたという。

本書の後半では、ガタルカナル・ニューギニア・アッツの戦争前半における日本軍の戦術や防御術について、米軍が実に詳しく分析していたことが紹介されている。

日本軍の戦法は柔術に喩えられる。奇襲と欺騙(きへん)に重きを置き、予想を裏切る場所と時間の攻撃に向けて努力する。(p.115)

火器・兵力・兵站のいずれも劣る日本軍にとって短期決戦のための奇襲攻撃しか選択できなかったのだ。

ガタルカナルやビルマなど各戦地における日本軍の地下陣地と防御戦術についても、米軍には詳細が明らかにされていたようだ。さらに、 『Intelligence Bulletin』1945年1月号の「日本軍戦術」では、日本軍が確立されたワンパターンの戦術しかとれないと評価している。

多くの指揮官が状況の変化に応じて作戦を変更する能力の欠如を示し、性急で無駄な努力によって兵力を無駄にする。(p.175)

戦場ごとの戦術だけでなく戦略のレベルでも、奇襲攻撃一辺倒で予備隊を作らず、大兵力を集中させるが連合軍に迂回されて孤立し壊滅する、というガタルカナル戦と同じワンパターンを繰り返したからだ。

『Intelligence Bulletin』には、もちろん米兵の士気を鼓舞するプロパガンダ的な側面があったのは間違いないだろうが、米軍によって日本軍は丸裸にされ、その情報が将兵に共有されていたのだ。


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■過去記事
『皇軍兵士の日常生活』一ノ瀬俊也


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