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『伊勢神宮と天皇の謎』武澤秀一(文春新書 908)

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『伊勢神宮と天皇の謎』武澤秀一(文春新書 908)


伊勢神宮では、2013年10月に第62回式年遷宮が行われた。

本書は、「伊勢神宮が、古代の姿を寸分違わず保っている」といったフィクションを糺し、伊勢神宮の実態を明らかにしている。


【目次】

序 伊勢神宮は古代のままか
  一、伊勢神宮とは
  二、知られざる伊勢神宮の変遷
1 式年遷宮から何が見えるか
  一、式年遷宮とは何か
  二、式年遷宮を生み出したもの
2 反目していた内宮と外宮
  一、内宮と外宮の関係略史
  二、「外宮先祭」の謎
3 伊勢神宮の今と昔
  一、社殿配置の今と昔
  二、社殿の今と昔
4 天皇の伊勢神宮
  一、“はじまり”の時:持統天皇の式年遷宮
  二、“古代”を喚起する近代:明治天皇の式年遷宮



伊勢神宮で第1回式年遷宮が行われたのが持統4年(649)。以来、1300年以上に渡って「そのまま姿」が保存されているといわれる。しかし、本書では「成長と変化、中断そして復興と修正の歴史を歩んできた」(p.4)ことが明らかにされる。

現在は20年に1度実施されている「式年遷宮」だが、そもそも当初は数え年の20年で、19年置きに実施されていた。しかも室町時代から戦国時代まで120年以上に渡って式年遷宮が中断したのである。

茅葺き堀立て柱の正殿および宝殿は、時とともに朽ちていく。そこで立て直しが必要となる。『日本書紀』によれば推古天皇4年(596年)11月に法興寺(飛鳥寺)の建設が終了しており、礎石柱と瓦葺きの恒久的な建築技術はすでに導入されていた。それでも、敢えて式年遷宮に掘っ立て柱が採用されたのは古式に則ったとされる。

しかし、部材の表面加工に使われていた鑓鉋は、室町時代に台鉋が中国から渡ってきたために廃れてしまっている。昭和になって宮本常一棟梁が法隆寺の修復のために復元するまで、400年に渡って柱材や床材の表面は古代とは別のものだった。

古代・中世をつうじて神宮の社殿が式年遷宮を重ねるなかで、より良いものを求めて変遷を重ねてきたことを、むしろ積極的に評価すべきなのだ。その結果、威風堂々とした、神々しい現在の伊勢神宮に到達したのであるから――。(p.169)

明治5年から、政府首脳の多くが異例の外遊に向かった。政治を中断してまで外遊をしなければならなかったのは、西欧諸国の政治体制を学ぶためだった。その結果明らかになったのは、民を統べるには西欧諸国のキリスト教に代わる柱が必要だということだった。

そのために生み出されたのが明治神道であり、「伊勢神宮が、古代の姿を寸分違わず保っている」というフィクションなのだ。


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