TOP > スポンサー広告 > 『吉田兼好とは誰だったのか―徒然草の謎』大野芳(GS幻冬舎新書 303)TOP > 新書 > 『吉田兼好とは誰だったのか―徒然草の謎』大野芳(GS幻冬舎新書 303)

昼食難民の新書生活

(新宿・秋葉原・芝浦など各地でのランチと読書)

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

『吉田兼好とは誰だったのか―徒然草の謎』大野芳(GS幻冬舎新書 303)

吉田兼好とは誰だったのか


『吉田兼好とは誰だったのか―徒然草の謎大野芳(GS幻冬舎新書 303)


吉田兼好は謎の人物である。

正没年不明で、吉田という姓も室町時代からの呼び名で、本名は卜部兼好らしい。

しかも日本人なら誰でも知っている『徒然草』の原本は不明で、学僧で歌人の清厳正徹(せいがんしょうてつ)が書写した「正徹本(1431年成立)」が最古のものらしい。兼好は1352年以降に死んだらしいので、80年ほど経ってから書かれていることになる。

本書は、吉田兼好の謎に迫り、鎌倉時代末期の幕府と朝廷との緊張関係から『徒然草』が成立した背景を明らかにしようとしている。

【目次】

序章 滅却したはずの原稿
第一章 徒然草の起稿
第二章 兼好は横浜生まれ
第三章 かねさわの別業
第四章 貴族社会の兼好
第五章 失意の帰郷
第六章 嘉元の乱
第七章 兼好帰洛のとき
第八章 兼好の出家
第九章 下山と沙弥兼好
第十章 ロビイスト兼好
第十一章 堀川具親の蟄居
第十二章 歌人兼好の登場
第十三章 邦良皇太子の薨去
第十四章 徒然草の続稿
終章 死出の旅仕度



室町時代の歌人三条西実枝(にしさねき)の著書『崑玉集』には、『徒然草』の成立について次のようなエピソードを紹介しているという。

室町前期の武将・歌学者の今川了俊は、若い頃に兼好と歌会など交わっていた。了俊は、九州探題や遠江守護などを経て、76歳過ぎに京都で著作の日々を送っていた。兼好没後50年ほど経ったある日、九州平定に同道した兼好の弟子・命松丸と出会う。了俊が兼好の形見の書が残っていないかと尋ねると、命松丸は草庵の壁や襖に貼った反古ぐらいしか残っていないと答えた。了俊の頼みで、命松丸が兼好の旧草庵から反古紙を剥がしたところ、一束もの量になった。それを2人で整理・編集したのが「つれずれぐさ」で、これを了俊の弟子である正徹が書写したのが「正徹本」だという。

もっとも、この書は歴史家たちが「デタラメの書」としているらしい。

確かにお話としては面白いが、兼好が反古紙を壁や襖の下貼りに使うことはあったにしても、その死後50年も経て草庵が残っていたというのは不自然だろう。成立が謎の書だから、不可思議な伝来エピソードを付加したしたのかもしれない。

兼好が青年を迎えたころ、後嵯峨天皇の第3皇子後深草天皇の子孫である「持明院統(後の北朝)」と、第4皇子亀山天皇の子孫である「大覚寺統(後の南朝)」の2つの家系が争っていた。鎌倉幕府の仲裁で交互に天皇に即位する「両統迭立」となったが、京都歌壇も大覚寺統に結びついた二条派と持明院統の京極派が勢力を競っていた。さらに、鎌倉幕府内も将軍や執権の後継問題が噴出していた。こうした状況の中で、鎌倉幕府の重臣である堀川家に仕えた兼好の人生も時代の流れに翻弄されることとなった。

『徒然草』は、前期と後期の2回に分けて執筆されたという。1319年に序段から第32段まで、1330年から翌年にかけて最終段が書かれたというのが通説だ。後醍醐天皇即位の翌年に前編、鎌倉幕府が崩壊する3年前に後編が書かれたことになる。

これに対して、林瑞栄は『兼好発掘』で、1318年8月に起稿して翌年末までに第37段までを執筆し、1334年に最終段までを執筆したとしているという。後醍醐天皇の即位直後に前編、鎌倉幕府が崩壊して1年後に後編を書いたことになる。

本書は、兼好研究では異端とされる林瑞栄の『兼好発掘』に多くを寄っている。

吉田兼好とは誰なのか。

「父は治部少輔だった卜部兼顕で、兄弟に大僧正慈遍、兼雄がいる」とするのが通説だ。しかし、林の説では、父の倉栖某が霜月騒動で死去したため、京都の卜部家に預けられたとしている。

『徒然草』が執筆された動機はどのようなものだったか。

兼好が35歳から40歳頃に、家司(事務職員)として仕えていた春宮権大夫の堀川具親(ともちか)が後醍醐天皇の女官を見初めて宮中から連れ出す事件を起こす。具親は、洛北の山荘に謹慎蟄居となり、これに随従した兼好が主人の無聊を癒やし、貴人としての振る舞いを説くために書いたという。あくまで読者は具親のみ。だから、兼好より10歳以上若い具親を諭すような記述が多いのだ。

『徒然草』の後編である第38段(第33段以降とする説が主流)から後は、鎌倉幕府が崩壊した翌年の建武元年(1334)10月以降であるとしている。記述に「精神的な深化、とりわけ仏教的な達観が見られるという」(p.269)。

兼好が仕えた堀川具親は大納言まで上り詰めたが、その息子である具雅は建武新政によって官位剥奪の憂き目を見ることになった。後編は、今度は具雅を教え諭すために執筆されたという。

著者は、ノンフィクション作家だが本書は史料を元にした「小説」の部分が多い。

本書は2度に渡る元寇以降に発生した承久の乱や霜月騒動、正中の変、元弘の乱といった幕府と朝廷の緊張関係や幕府内部の政変、天皇の皇位継承問題など歴史的な解説に紙幅の多くが割かれている。そのため、1ページに十人以上の歴史的人物の名前が頻出部分も多く、鎌倉末期の歴史に疎い者にとっては非常に読みにくい記述が続く。しかも「歴史小説」は、兼好とは直接的な関係のない部分も多い。


↓ブログランキングに参加しています。
にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ


関連記事

コメント

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事へのトラックバックURL
http://pasage.blog43.fc2.com/tb.php/1712-58996199

 | HOME | 









ブログランキングに参加中です

リンク

お気に入りに追加
このブログをリンクに追加する

最近の記事

にほんブログ村ランキング

ブログ内検索

Loading

カテゴリー


全記事一覧(500件ごと)

カレンダー+月別アーカイブ

ケータイ版URL

QRコード

RSSフィード

プロフィール

pasage

Author:pasage
昼食時は「難民」と化して「新書」を片手に、都内各地を彷徨っています。

FC2Ad

Template by たけやん

QLOOKアクセス解析

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。