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昼食難民の新書生活

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『日本人に「宗教」は要らない』ネルケ無方(ベスト新書 432)

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『日本人に「宗教」は要らない』ネルケ無方(ベスト新書 432)

著者は、兵庫県にある曹洞宗・安泰寺のドイツ人住職。

本書では、日本人の日常行動や自然観、日本語などさまざまな様相の中に宗教的な要素を見出している。

【目次】

第1章 「日本人は無宗教」って、本当?
     —日本と欧米社会の差異
第2章 ここがすごいよ、日本仏教
第3章 ちょっと不思議な、日本仏教
第4章 もし日本から「仏教」がなくなったら…
     —日本人の死生観について
第5章 日本人はなぜキリスト教を信じないのか
第6章 日常生活に役立つ「禅」の教え


著者は、日本人は無意識のうちに、日常生活の中で「禅」の教えを実践しているという。

一般的な日本人はあまり意識していないだろうが、日常生活の中で道元禅師の教えのエッセンスを実践している。実は、歯の磨き方を最初に日本に紹介し、宗教的な行為とみなしたのも道元禅師。ウォシュレットのない時代に、お尻の洗い方もあの哲学的な『正法眼蔵』の中で丁寧に説明されている。(p.54)

姿勢を正す、靴を揃える、食べ物を残さない、といった幼いころにマナーとして教育される日本人のさまざま行為の根底には、仏教や神道の教えがあるというのだ。

しかし、日本人は自らを「無宗教」だという人が多い(『無宗教こそ日本人の宗教である』島田裕巳)。

日本の全国各地に、数多くの寺社がある。文部科学省の宗教統計調査によると、寺院が約7万7000、神社が約8万5000で、計16万2000。全国に約4万店舗あるコンビニエンスストアと比べてもはるかに多い。(p.58)

寺社の数ばかりでなく、イスラム教の聖地メッカを訪れるのは年間500万人に過ぎないが、成田山新勝寺は年間1000万人、明治神宮は正月三が日だけで300万人が参詣している。

どう考えても日本人が無宗教というのは無理がある。

日本人にとっての宗教は、空気を吸って吐くように自然なものではないだろうか。宗教心にあふれているからこそ、無宗教に見える。だから、他宗教に対して寛容にもなれるし、宗教を理由に他人を否定する必要もない。宗教に無関心である日本人は、最も宗教的な人々だと私は思う。(p.22)

われわれは口癖のように「お陰様で」というフレーズを使うが、誰のお陰なのかは考えたこともないし、問われることもない。しかし、著者はこのフレーズにこそ日本人の宗教観が表れているという。

また、日本人は他者とシンクロする能力があるという。

日本人は、人に合わせ、人とシンクロする性質がある。相手の動作や気持ちまで合わせるというのは、欧米人には難しい。(p.48)

相撲は単なるスポーツではなく神事であり芸能でもあるが、他の競技と明らかに異なるのがその立ち会いだ。格闘技に限らずほとんどのスポーツはレフェリーの合図と同時に競技が開始するが、相撲は仕切りの間に徐々に闘争心を高めていき、行司が軍配を返した後に、両者が「合わせる」ことで始まる。合わなければ「待った」になるし、逆に仕切りの間に両者の気合いが高まれば行司の合図を待たずに「時間前」に始まることもある(だから、日馬富士の「腕立て伏せ」は愚かで見苦しいパフォーマンスだと笑われる)。

日本人の他者に対するシンクロ率の高さは、「空気を読む」という実に日本的な行動を生み出している。

空気の読めない人はいじめられるか本人も苦しいが、周りの人も空気を読めない人がいる状況が辛いからいじめたくなる、排除したくなる。ドイツ人には、そもそも空気を読むという概念はない。なぜ他人とシンクロしなければいけないのか。ドイツ人には、なかなか理解できない。日本人は相手にシンクロできるが、相手からもそれを期待している。だからシンクロできない人、そもそもシンクロしようと思っていない人に対しては、排他的になってしまう。「適当でいいじゃないの」という人がひとり入ると、日本人の感覚では許されない。(p.49)

キリスト教徒の親に生まれると、赤ん坊は生まれてすぐに自動的に洗礼を受けるが、本書によればドイツでは14歳になると、そのままキリスト教徒となるか、別の宗教を選択するか、無宗教になるかを選択するという。自分の意思で「堅信」という儀式を経てカトリックあるいはプロテスタントとして生きることになるのだ。

こうしてキリスト教徒が、神と自分との1対1の関係になるのに対し、日本では神と直接的な関係を結ぶのではなく、ご先祖や亡くなった父母があの世や仏壇から見ている、という感覚ではないかという。

日本人は宗教に対して寛容であるにもかかわらず、キリスト教が根付かない理由として2つ挙げている。

1つは、日本人がキリスト教の「親子関係」に違和感を覚えること。キリスト教は、父である神と、子であるイエスと、聖霊の三位一体があるが、イエスの母マリアはただの人間であり、信仰の外にあるという点だ。さらに、人類に腹を立てて罰を与えるような厳しい神(父)が、人類をうるさく叱り、命令し、守らなければ、洪水を起こすという峻烈な話に満ちた旧約聖書の教えを子どものころから聞かせれて育つ欧米人は、自らが父親になると厳しくなる。家庭内で、父親が神の役割を演じ、子供が人類となる。

欧米の子供たちは、いつも父親に否定され、命令されるが、往々にしてその期待に応えられない。その不甲斐ない自分を、聖書の話に出てくる人に当てはめて考える。そして、最終的には十字架に架けられるような気持ちを持つ。(…)絶対的な父親を前にして、十字架に架けれたイエス・キリストと自分を重ね合わせるのだ。あるいは、自分がイエスの代わりとなって正義のために戦おうという強い意識も芽生えてくる。(p.159)

2つ目は、キリスト教の説く「隣人愛」。キリスト教が、隣人愛を説き続けなければならないのは「彼らの中に愛がない」からだ。キリスト教の「隣人愛」は「憎しみ」の裏返しに過ぎないのだ。

日本社会には隣人愛に似た「和の精神」が根付いている。相手を思いやり、他人に迷惑がかかるような行いは極力しないよう努めている。それも日本人同士で、「私は和の精神を心がけています。あなたはどうですか?」と、いちいち確認したりはしない。それでも、お互いに不安はない。だから、キリスト教が隣人愛を説けば説くほど、日本人はキリスト教から離れていくのである。(…)もともと高い宗教観を持つ日本人は、西洋的な「宗教」の必要を感じていないのだ。(p.176)

本書は日本人の宗教観を分析するとともに優れた日本人論となっており、ドイツ人論やキリスト教徒論として、これまで読んだことのないさまざまな知見にあふれている。



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■ネルケ無方の著書
『迷える者の禅修行―ドイツ人住職が見た日本仏教』
『ただ坐る―生きる自信が湧く 一日15分坐禅』
『ドイツ人住職が教える 禅の教え 生きるヒント33』



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コメント

ネルケさんへ質問

 宗教比較や仏教についてこれまで読んだ中で最もわかり易く、多くを学びました。
 質問ですが、1)全能の神の存在と教えは人が創った文化であることを思うと言われるままに信じることはできませんが、例えばキリスト教ではどのように教徒は信じるのでしょうか。
 2)私は「天地創造の神は存在する」と考えます。なぜなら、宇宙、地球、生物、などの成り立ちから、それを否定できないという理由からです。
 これを肯定すれば、人はそれぞれの能力,使命、などを付与されている存在であり、他の使命や役割をもつ隣人と共に生きる存在である。したがい、すべての人に感謝すべきであり、争いは無用と説くことができます。

Re: ネルケさんへ質問

中島捷馬さん、コメントありがとうございます。

ただ、ネルケ師がこのブログを見ることはないでしょうから、師が住職をされている安泰寺に問い合わせされたほうがいいと思います。

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