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『思考実験―世界と哲学をつなぐ75問』岡本裕一郎(ちくま新書 1045)

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『思考実験―世界と哲学をつなぐ75問岡本裕一郎(ちくま新書 1045)


本書は75問の思考実験を使って、 哲学的問題にアプローチしている。

だから、本書のタイトルは「世界と哲学をつなぐ思考実験75問」にすべきだったのではないだろうか。

著者は、玉川大学教授の哲学者。本書では、自己・他者・倫理・社会の4つのテーマを抽象的な理論ではなく、思考実験を使って具体例でわかりやすく解説している。

【目次】

Ⅰ 自己
 第1章 私はなぜ「私」だと言い切れるのか?
 第2章 私の夢こそが現実ではないのか?
Ⅱ 他者
 第3章 あなたがいなければ、私はいないも同然なのか?
 第4章 他人の心が分からなくて何が問題なのか?
Ⅲ 倫理
 第5章 ウソをつかないことは本当に正しいのか?
 第6章 善悪は何で判断すればよいのか?
Ⅳ 社会
 第7章 人間の未来はどこへ向かうのか?
 第8章 近代の終わりはディストピアなのか?


著者は、哲学の非常勤講師として短期大学で教え始めたときに、抽象的な概念や論理ばかりの講義では学生たちの興味を引かないことに悩んだ。そこで、「具体的に教えてほしい」という学生の声に応えるために「思考実験」を使って説明することにしたという。

「思考実験」はエルンスト・マッハが注目した概念で「思考の中で実験する」方法だ。

マイケル・サンデルの「白熱教室」以来、哲学や倫理学での「思考実験」も馴染み深いものとなった。本書では有名な思考実験だけでなく、小説や映画などさまざまな題材から、いわゆる思考実験の形になっていないものも採り上げている。

面白かったのは「Ⅲ 倫理」。

まず、カントの「ウソ」論文(『人間愛からのウソ』1797年)。

人殺しが私の友人を追いかけている。友人は私の家に逃げ込んできて、かくまってほしいと依頼する。私が承知したあと、人殺しが私の家にやってきて、その友人が来ていないか私に問い尋ねたとしよう。そのとき、私はどう答えるべきであろうか?

この問題に対して、カントは、たとえ結果がどうであろうと「ウソはつくべきではない」と主張した。これに対して、H・J・ベイトソンは「友人の命を救う」という状況では「ウソをつくな」という道徳的な義務は留保しなくてはならないと批判した。

一方、マイケル・サンデルは、人殺しに「友人はここにはいない」とウソをつくのではなく「1週間前に見かけた」と答えるという、真実ではあるが誤解を招く表現を使うことを提案した。しかし、人殺しが「もう一度聞くが、今この家にお前の友人はいるのか?」と問いただされたとき、サンデルの解決法は役立たないと著者はいう。

さらに著者は、同じストーリーで友人を政府に批判的な活動をしている「反逆者」、人殺しを「秘密警察」に設定する。秘密警察が家にやってきて「反逆者をかくまっていないか?」と尋ねたとき「いない」とウソをついても、秘密警察は納得しないだろうとしている。

この思考実験でカントが問題にしたのは、「ウソをつくな!」という義務の絶対性なのである。著者は、「ウソに対するホントの先行性」(あるいは、カント風に表現して「ウソの超越論的条件」と呼ぶことにしたい)という。

ウソは、ホントが前提されてはじめて可能になり、ホントに寄生して営まれるのだ。(…)子どもには、「ウソをつくな!」と繰り返し教育するが、それは、この先行的な条件を身につけさせるためなのだ。(…) ウソをホントはレベルが異なり、ホントが成立してはじめて、ウソが可能になる。カントが強い口調で真実を要求するのは、まさにこの先行的なレベルの話だと考えなくてはならない。(p.139)

時限爆弾シナリオ」は、次のような問題だ。

テロ組織が人口密集地に時限爆弾を仕掛けたという情報があり、その組織の一員を捕まえた。一両日中に爆弾が破裂し、多くの犠牲者が出そうである。 これを阻止する唯一可能な方法は、捕まえた容疑者に拷問を加え、ホントのことを吐かせ、爆弾を解体することだが、容疑者に拷問を加えてもよいか?

サンデルはさらに先鋭化して、容疑者本人が口を割らないならば、彼の面前で娘に拷問したらどうなるか、というバージョンも生み出している。

いずれにしても、この思考実験は功利主義が正当化の論拠となる。幸福と不幸の総量を計算する方法だ。多数の不幸を避けるためには拷問もやぶさかでないというのが功利主義的解釈だ。しかし、容疑者が正しい情報を持っている確証はなく、ウソの情報を語るかもしれないし、拷問に耐え抜き何の情報も得られない可能性もありうる。拷問によって、爆発を避ける情報を得られなければ、功利主義的にも最悪の結果となる。

サンデルの講義で有名になった「トロッコ問題」でも2つのバージョンを紹介している。

コントロールを失ったトロッコ電車が近づいてきて、線路の先には5人の作業員がいて、右の支線には1人しかいない。このままでは5人の作業員がトロッコに轢かれて死んでいまう。スイッチ(レバー)を引いてトロッコの進行方向を右に切り替えて5人を救い、1人を犠牲人することは正しいか?

陸橋の上からコントロールを失ったトロッコ電車が近づいてくるのが見えたとき、線路の先に5人の作業員がいてこのままでは轢き殺されてしまうことが予想されたとき、自分が陸橋から線路に飛び込んでもトロッコは止められないが、隣に立っている太った男を落とせばトロッコを止められるとしたら、太った男を突き落としたほうがいいだろうか?

前者は、5人を救うために1人が死ぬことになるが、殺人を意図したわけではない。しかし、後者は5人を救うための手段として1人を殺すことになり、「目的を実現するために、他人を手段としてはならない」というカント的義務論に違反するとしている。

「Ⅰ 自己」や「Ⅱ 他者」といった抽象的な概念よりも、「ウソとホント」や「善悪」の問題のほうが、ヒリヒリとした現実感があって面白いのだ。



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