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『遊動論―柳田国男と山人』柄谷行人(文春新書 953)

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『遊動論―柳田国男と山人柄谷行人(文春新書 953)


本書は、柳田国男批判に対する批判・誤解を解き、その思想を擁護するために書かれている。

著者は、「柳田論を仕上げることをずっと待ち望んでいた」と「あとがき」に書いている。2013年に『柳田国男論』として刊行されたのは、1974年の「柳田国男試論」と「柳田国男の神」に、1986年の「柳田国男論」を合わせたもので、一切の加筆を加えなかったらしい。だから、本書が「柳田論」の総仕上げということになる。

本書は、2013年に『文學界』で連載された第1〜4章に、2012年秋に中国の中央民族大学で行った講演の草稿「二種類の遊動性」を加えたものである。

【目次】

第1章 戦後の柳田国男
 戦中から戦後へ
 柳田の敗北
 農民=常民の消滅
 非常民論
第2章 山人
 近代と近代以前
 農政学
 焼畑狩猟民の社会
第3章 実験の史学
 供養としての民俗学
 山人と島人
 公民の民俗学
 オオカミと「小さき者」
第4章 固有信仰
 新古学
 固有信仰
 祖霊信仰と双系制
 「場」としての家
 折口信夫と柳田国男
 固有信仰と未来
付論 二種類の遊動性
 遊動的狩猟採集民
 定住革命
 二種類のノマド
 柳田国男


柳田国男は、初期に「山人」(狩猟採集的遊動民)を研究したが、後期にそれを放棄し、稲作民である「常民」(定住農民)を中心とした「民俗学」に向かった、と長らく批判されてきた。さらに、柳田が主張した「一国民俗学」は日本の植民地主義を支える理論とされた。

本書は、そうした通説を覆し、柳田国男が「山人」「常民」「一国民俗学」「固有信仰」と研究対象を変えながらも、国家と資本を乗り越える社会変革の可能性を一貫して探求していたことを明らかにするために書かれている。

柳田国男の人生は敗北の連続だった。

柳田国男は、田山花袋や島崎藤村と交流のある文学青年だったが、大学では農政学を専攻した。卒業論文「三倉改革」は中国で飢饉等の厄災に備えて穀物を貯蔵した倉と制度の沿革研究だった。

柳田は農政学を選択した理由を次のように書いているという(『故郷七十年』)。

饑饉といえば、私自身もその参事にあった経験がある。その経験が、私を民俗学の研究に導いた一つの理由ともいえるのであって、饑饉を絶滅しなければならないという気持ちが、私をこの学問にかり立て、かつ農商務省に入る動機にもなったのであった。(p.47)

柳田は13歳(明治18年)のときに飢饉を見聞し、明の兪汝為が書いた飢餓救済策の書である『荒政要覧』を読んでいたという。

著者は、柳田が農政学に向かったのは偶発事ではなく、さらにそこから「民俗学」に導かれたとしている。その根底には、飢饉の民を救う「経世済民」という儒教的理念があったという。しかし、これは柳田自身が使った言葉ではなく、後の研究者が定義した柳田の思想を表す言葉だ。

柳田は農商務省の官僚となり、従来からあった共同労働システム(結:ユイ)や金融システム(頼母子講)のような相互自助の協同組合によって小作農を救済しようとした。柳田の考えていた協同組合は、単なる農業の振興ではなく、農業・牧畜・漁業・加工業、さらに流通や金融を包括する農村改革であり、究極的には農村と都市、農業と工業の分割を乗り越えることを目指していた。

しかし、その当時の日本の農政は「農業本国説」であり、富国強兵のための資本を農民から収奪し、農村を兵士を提供する母体とするものだった。補助金によって小農を保護するが、農村の自立的な改革や発展を目指すものではなかった。

柳田の農政は受け入れられず、わずか2年で農商務省を去り、法制局へと移った。移動後も協同組合・産業組合に関して、各地で講演を行ったが、柳田の望むような組織化は実現しなかった。

著者は、「その挫折から彼の民俗学が生まれた」としている。柳田の民俗学は「農村生活誌」であり、その根底に農村改革の目的があった、というのだ。

その意味で、彼の農政学は最初から、史学的・民俗学的であった。同時に、柳田の民俗学は農政学的であったともいえる。(p.60)

官僚として自らの農政学が活かせなくなったことで民俗学に向かったのだ。

「柳田は山人説を放棄していない」と著者は何度も書いている。

柳田は、1908年、宮崎県椎葉村を訪れ、焼畑と(猪)狩猟で生活する山村に共同自助を見て、そこに理想的な共同自助の実践があり、ユートピアの実現を見たのだ。柳田はそこに住む人々を「山民」と呼び、『後狩詞記』を書いた。

椎葉村に住んでいたのは「山民」であり、柳田はこの地に異人種である「山人」が先住し、その後に山民がやってきたと見ている。天狗その他、怪奇なイメージで語られるのは、先住異民族の末裔である山人であると考えたのだ。

先住民は追われて山人となり、その後に山地に移住してきた人々が山民となった。山民は、農業技術をもち、平地に水田稲作とそれを統治する国家ができた後に逃れてきた者であり、平地民と対抗すると同時に交易していた。東国や西国の武士も起源においてこのような山民であった。その中で、武士が平地に去った後に残ったのが、現在の山民である。柳田は、椎葉村で山民にであったことで山人に取り組むことになった。

『遠野物語』を書いた頃、彼は、歴史的に先住民が存在し、その末裔が今も山地にいる、と考えていた。その後も、彼は山人が実在するという説を放棄したことはない。ただ、それを積極的に主張しなくなっただけである。(p.32)

なぜ、柳田は山人の存在を積極的に主張しなくなったのか。

著者は、一般に言われているように南方熊楠に批判されたためだとするのは間違いだとしている。しかし、本書では柳田がなぜ山人の存在を主張しないようになったのかは明らかにされない。

山内丸山遺跡のように、縄文人が必ずしも山だけに暮らしていたわけではないことを我々は知っている。DNAによって栗などの栽培を行っていたことも明らかになっている。水稲という高度な土木・農業技術が普及する下地として、定着民して焼畑などで暮らす人々がすでにいたはずだ。さらに、縄文人は山で暮らす採集狩猟民だけでなく、川や海で漁労を行っていたこともわかっている。つまり、必ずしも山だけで暮らしていたわけではない。この点についても、本書はまったく触れていない。

柳田国男の民俗学が、日本の帝国主義に寄与した点についてはどうか。

著者は、柳田が「一国民俗学」を主張したのは、日本が満州を拠点にして膨張主義になり「東亜新秩序」を裏付けける「比較民俗学」が要請された時代だったとしている。その膨張主義が破綻した敗戦後には、「一国民俗学」が受け入れられ、1970年代に日本で再び膨張主義が始まると「一国」的であることが批判の標的となった、という主張だ。

本書のもう1つの主題である遊動性について、著者は遊牧民的と採集狩猟民的の2つがあるとしている。定住後に生じた遊牧民や山地人、漂泊民の遊動性は、定住以前にあった遊動性を回復するものではない。

そして、柳田国男はこの2種類の遊動性を弁別したという。日本列島に先住した採集狩猟民であり、農耕民によって滅ぼされ山に逃れた「山人」と、移動農業・採集を行う山民、工芸・武芸を含む「芸能的漂泊民」である。芸能的遊動民は、定住性とそれに伴う服従性を拒否するが、他方で定住民を支配する権力とつながっている。

柳田の唱えた「山人」の実在は確認できなかったが、彼は稲作民以前の「固有信仰」に見出そうとした。そこには、資本=ネイション=国家を越える最古の形態を見出した。しかし、稲作農民の社会では「固有信仰」の痕跡しか残っていなかった。

柳田が推定した「固有信仰」における祖霊は、次のようなものだった。

人は死ぬと御霊(みたま)になるが、死んで間もないときは「荒みたま」である。強い穢れをもつが、子孫の供養や祀りをうけて浄化され御霊となる。初めは個別的だが、一定の時間が経つと一つの御霊に溶け込む。それが氏神(神)である。祖霊は、故郷の村里を望む山の高みに昇って、子孫の家の繁栄を見守る。生と死の2つの世界の往来は自由である。祖霊は、盆や正月などにその家に招かれて共食し、交流する存在となる。御霊は、現世に生まれ変わってくることもある。

祖霊と生者の相互信頼は、互酬的な関係ではなく、愛にもとづく関係である。祖霊はどこにでも行けるにもかかわらず、生者のいる所から離れない。

他の国の祖霊崇拝は子孫の「孝行」にもとづいている。孝行は、親子双方の相手に対する愛情や絆、義務が入り混じった互酬的関係である。儒教の「孝」は家父長制にもとづくが、孔子はそれを互酬的なものとみなしていた。親子の間には敵対性、攻撃性が潜在しており、それが孝としての互酬性によって抑制されている。

ところが、柳田のいう固有信仰では、祖霊と子孫の間の相互性にそのような敵対性がひそんでいるようにはみえない、という。その関係は互酬的なものではない。祖霊は近くにとどまって子孫を見守るが、子孫の祀りや供養に応えてそうするのではなく、自発的にそうするのだ。

「室町以前のことはわからない」と柳田は考えていたが、神道や仏教、道教の幾重にも重なった習俗の奥底に、交換や契約とは異なった日本古来の祖霊信仰を見出したのだった。


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