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昼食難民の新書生活

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『アジア海賊版文化―「辺境」から見るアメリカ化の現実』土佐昌樹(光文社新書 383)

アジア海賊版文化


『アジア海賊版文化―「辺境」から見るアメリカ化の現実土佐昌樹(光文社新書 383)


著者はタイトルをつけるのが「悩ましい作業だった」というが、このタイトルは本書のごくわずかの部分しか示していない。かといって、サブタイトルが本書の内容に即しているかというとそうでもない。

著者が本書を「民族誌」と呼ぶように、カルチュラル・スタディーズ的なアプローチというか、ポストコロニアル理論による記述というか、要するにだらだらと見聞きしたことを書いているだけのように思える。それを無理やり「公共圏」や「ディアスポラ」といった概念で説明しようとしているが、到底成功しているとは言えないだろう。

「海賊版文化」として紹介されるのは、日本人ジャーナリストの長井健司さんが取材中に射殺された後に、ミャンマーを訪れた著者が、ビデオショップでハリウッド映画海賊版のDVDが売られているの見た話である。しかし、海賊版の製造現場や流通については調べていない。それどころか、たまたま立ち寄ったビデオショップが知識人のサロンと化していて、18世紀のイギリスにおけるコーヒー・ハウスのように知識の交換場所であり、自由な発言によって民主主義の揺籃の場となる可能性がある「公共圏」だとしている。

また、アジア各地で流行した「韓流」についても書いているが、アジア人の顔をしたアメリカ文化だから受け入れられたといった分析に止まる。

それに、この著者は言葉の使い方に粗雑なところがある。例えば、「はじめに」では「すべからく」を「すべて」の意味に誤用している。本来は「すべからく……べし」と動詞を挟んで使用し、「ぜひ……する必要がある」という意味で使うべき言葉なのである。

「すべからく」に誤用に関しては、ずいぶん前から評論家の呉智英が繰り返し指摘しているが、「すべて」の古語か何かと勘違いするためか、「すべからく」の誤用はなくならない。語るべき内容もないくせに、小難しいことを書きたがる人に限って間違う。

また、本書には「産業社会への移行期に現れた文化的公共圏を特定の歴史状況における境界性の表れと解釈することで、その意味をより広い文脈から掘り下げることが可能になる」(p.135)といった記述がたびたび出てくるが、一体何を言いたいのだろうか。

現象を観察することはできても、その意味を解釈することはできない人らしい。



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