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昼食難民の新書生活

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『偽善の医療』里見清一(新潮新書 306)

偽善の医療


『偽善の医療』里見清一(新潮新書 306)

著者はとても正直な人である。本書は、最近の医療を巡るさまざまな偽善的な「常識」に敢然と異を唱えている。

例えば、「患者様」という言葉。2001年に厚生労働省から、患者の呼称に「様」をつけろ、という通達があったようだが、医療サービスを受ける顧客として遇しろということであれば、医療者側は金額に応じて治療を行うことになってしまうと著者は言う。

確かに、それまでの「患者さん」という呼称のどこが問題なのかよくわからないが、著者が心配しているのは呼称変更がモンスター・ペイシェントを増長させることらしい。

そして「セカンドオピニオン」。セカンドオピニオンを求める患者の家族はマスコミの与太記事に騙されているのであり、セカンドオピニオンを受けたとしても、ほとんどの場合、最初の診断や治療方法と違った診断がされるわけではない。つまり、著者はセカンドオピニオンは無駄だと考えている。

また「インフォームドコンセント」についても、反論している。医療訴訟の盛んなアメリカで裁判沙汰になったときの予防措置として、書類にサインをもらう制度であり、診察を始める前あるいは治療の一々について分厚い書類にサインをもらい、それによって免責されると考えるのはおかしいとしている。十分な情報を与えられたとしても、専門知識のない患者が正しい治療法を選択できるとはかぎらないだ。ここで著者が持ち出すのは、ヒポクラテス以来の医療に携わる者の責任としてパターナリズム(医療父権主義、家父長的温情主義)である。

しかし、インフォームドコンセントという概念が生まれたのは、パターナリズムによって医師が患者に十分な説明を行わないことが問題となったからではないか。病気になると、「すべてを医師に任せたい」と判断停止にしてしまいたい患者もいるだろうが、自分の身体の状態を説明してほしいという患者の方が多くなったからインフォームドコンセントが必要になったのではないか。この点に関して著者の説明は不十分である。

また、本書では有名人が書いたガンの闘病記が間違いだらけのであることや、週刊誌に掲載される病院ランキングの無意味さ、安楽死についての国民的な合意が形成されていない点と刑事訴追の可能性についても批判している。

ある意味で、傲慢とも思える見解もあるが、臨床に携わる医師の本音が極めて正直に吐露されている珍しい本である。偽善ではなく、偽悪的に真実を語っているといえなくもない。

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