TOP > スポンサー広告 > 『詩と死をむすぶもの―詩人と医師の往復書簡』谷川俊太郎・徳永進(朝日新書 137)TOP > 新書 > 『詩と死をむすぶもの―詩人と医師の往復書簡』谷川俊太郎・徳永進(朝日新書 137)

昼食難民の新書生活

(新宿・秋葉原・芝浦など各地でのランチと読書)

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

『詩と死をむすぶもの―詩人と医師の往復書簡』谷川俊太郎・徳永進(朝日新書 137)

詩と死をむすぶもの


『詩と死をむすぶもの―詩人と医師の往復書簡谷川俊太郎・徳永進(朝日新書 137)

本書は、谷川俊太郎と終末期医療のための診療所を開設した医師の往復書簡(手紙ではなくて、インターネットのメールだが)となっているが、詩人と医師による言葉の異種格闘技である。

元鳥取赤十字病院内科部長・徳永進は、他の医師から「尊厳死の専門の先生」と呼ばれるように、鳥取で末期ガン患者を受け入れる「野の花診療所」を開設している。

この診療所は、いわゆるホスピスとは違うようだ。ホスピスの中には、患者が苦しがっても延命処置は一切せずに、痛みを緩和する処置しかしない教条的な施設もあるという。野の花診療所には、末期ガン患者もいれば鬱病患者も入院している。さらに、今年は風邪の外来が少ないから経営が苦しい、というように一般の患者も受け入れている。

徳永は、ガンが脳に転移し血中アンモニア濃度が高まって痛みを感じずに「自然な死」を向かえることを望んでいる。しかし、患者の最期の苦しみを取り去るため、セデーションという鎮静剤を点滴で「落とす」かどうかを患者本人や家族、看護師と相談することがある。自らを「臨終の演出家」と自嘲ぎみに語るのは、自然な死を迎えさせることができなかった悔悟であり、患者本人はもちろん家族にとっても尊厳に満ちた臨終を向かえることができるように腐心しているからだ。

徳永の人間としての器の大きさは、こんなエピソードに現れている。娘が父親の遺体を一緒に拭いていた看護師に、父が三途の川を渡るときに痛がらないかと尋ねた。すると、看護師は痛み止めの坐薬を入れましょうかと答え、娘は「父は本当に痛がりだからもう1つ入れてくれ」と頼んだ。とてもいい話だが、死者に薬を処方するなどあり得ないから、これはもちろん適応外の処方である。この診療所が坐薬を保険外で請求したとは考えられないから、支払基金や健保組合が知ったら「不正請求」を指摘されてもおかしくない。それでも、弔いの過程で遺族にとっては必要な坐薬であり、徳永の元にはそれを理解できるスタッフがいて、それを堂々と書いているのだ。

徳永は、そうしたさまざまな死を「臨床ライブ」と称して書き綴っているが、それに対する谷川の言葉は「愛」や「宇宙」といった抽象的な概念に止まり、「死」という重い現実の前では「詩」はあまりにも軽い。それでも「詩」が時に光を放つのは、詩人が「死」を受け入れ、乗り越えるための言葉を紡ぎ出すことがあるからだろう。

関連記事

コメント

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事へのトラックバックURL
http://pasage.blog43.fc2.com/tb.php/304-9be828b2

 | HOME | 









ブログランキングに参加中です

リンク

お気に入りに追加
このブログをリンクに追加する

最近の記事

にほんブログ村ランキング

ブログ内検索

Loading

カテゴリー


全記事一覧(500件ごと)

カレンダー+月別アーカイブ

ケータイ版URL

QRコード

RSSフィード

プロフィール

pasage

Author:pasage
昼食時は「難民」と化して「新書」を片手に、都内各地を彷徨っています。

FC2Ad

Template by たけやん

QLOOKアクセス解析

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。