TOP > スポンサー広告 > 『無宗教こそ日本人の宗教である』島田裕巳(角川oneテーマ21)TOP > 新書 > 『無宗教こそ日本人の宗教である』島田裕巳(角川oneテーマ21)

昼食難民の新書生活

(新宿・秋葉原・芝浦など各地でのランチと読書)

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

『無宗教こそ日本人の宗教である』島田裕巳(角川oneテーマ21)

無宗教こそ日本人の宗教である


『無宗教こそ日本人の宗教である』島田裕巳(角川oneテーマ21)

日本人の7割は、宗教を問われると「無宗教」と答えるという。本書は、外国語に翻訳不能な無宗教という言葉と、日本人の宗教観を巡る論考である。

無宗教と言いながら、成田山新勝寺には毎年1000万人近くが参詣に訪れ、明治天皇を祀った明治神宮には正月三が日だけで300万人が初詣でをしているように、ほとんどの日本人は宗教的な行為をしている。

多くの信者を集めるイスラム教の聖地メッカやフランスのルルドでさえ、訪れる信者は年間500万人程度であることを考えれば、成田山新勝寺は世界最大の宗教的聖地であり、日本人は世界でも例がないほど宗教心に篤い国民であることになる。

ところが、日本人は自らを半ば恥ながら半ば誇りをもって、無宗教であるという。無宗教と自らを位置付けるのはなぜなのか。各宗教団体が文化庁に申告する信者数を合計すると、日本の総人口を軽く超えるらしい。本人が知らないうちに、どこかの宗教の一員としてカウントされてしまうのか。あるいは、1人の人が複数の宗教団体に信者として登録されてしまうのか。単に各宗教団体が過大な信者数を申告しているだけなのか。

著者によれば、日本人が特定の宗教とはかかわりをもたないことを表明する「無宗教」と言い出したのは、創価学会による暴力的な折伏の影響があるという。かつて創価学会の会員は、強引な勧誘に伴って親戚や知人の家の神棚を打ち壊すような暴力行為を働いていた。町内会の祭で神輿をかつがない、神社の鳥居をくぐらないなど偏介な行為も目立った。そこで、多くの日本人はそうした奇異な行動を取る「新興宗教」とは無関係であるという意味で無宗教を標榜するようになったというわけだ。

日本人は多神教を信じているかのように言われるが、多神教ではないと著者は言う。八百万神というのは、それぞれの神社に名称の異なる神々が祀られているから、そう言われているだけだという。

しかし、本当にそうだろうか。成田山新勝寺に参れば家内安全を祈り、出雲大社では縁結びを願う。また、大木や大岩など自然物には神社のご神体として崇められているものも少なくないように、アニミズムはわれわれの生活に色濃く残っている。そうしたさまざまな霊的な存在を八百万神と呼んだのではなかったのか。

キリスト教やイスラム教のような一神教だけでなく、仏教すらも換骨奪胎し、アニミズムと一体化したものをわれわれは信仰してきたのではなかったのか。しかし、明治以降の一神教をモデルにした国家神道は、国民国家建設のための近代化の思想であって、宗教ではなかった。神道には教義の体系といったものはないし、高名な僧侶のように人々を救済に導いたことで名を残した神主はいない。『古事記』や『日本書紀』を分析して、生活規範や人生訓を読み取ろうとしたという話は聞いたことがない。

なぜ日本人は無宗教なのか。なぜ日本ではキリスト教徒が人口の1%を超えたことがないのか。簡単な話だ。そうした「宗教」を必要としなかったからである。


関連記事

コメント

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事へのトラックバックURL
http://pasage.blog43.fc2.com/tb.php/337-b42bca61

 | HOME | 









ブログランキングに参加中です

リンク

お気に入りに追加
このブログをリンクに追加する

最近の記事

にほんブログ村ランキング

ブログ内検索

Loading

カテゴリー


全記事一覧(500件ごと)

カレンダー+月別アーカイブ

ケータイ版URL

QRコード

RSSフィード

プロフィール

pasage

Author:pasage
昼食時は「難民」と化して「新書」を片手に、都内各地を彷徨っています。

FC2Ad

Template by たけやん

QLOOKアクセス解析

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。