『日本の曖昧力―融合する文化が世界を動かす』呉善花(PHP新書 592 )
2009-05-05

『日本の曖昧力―融合する文化が世界を動かす』呉善花(PHP新書 592 )
日本の保守派には大人気、その一方で祖国の韓国では国賊的扱いを受けているという呉善花(オ・ソンファ)さんの講義録。拓殖大学国際学部で「日本の歴史と文化」と題した講座を大学の依頼で開催したところ、初年度は200人の予定が300人の学生が集まり、次年度は500人の学生を集めた人気講座になったという。その講義録を雑誌『歴史街道』に連載し、さらに加筆・修正して書き下ろしを1章加えて新書化したのが本書。
否定的に使われる言葉に「力」をつけて肯定的な意味合いを持たせた本のタイトルとしては、赤瀬川源平の『老人力』が嚆矢だったように記憶しているが、本書は、日本人の特性として、物事をはっきりさせない傾向があるとして否定的に語られてきた「曖昧さ」を、世界が陥っている限界を切り開き、世界を動かしていく概念として捉えることを提唱している。日本人が「曖昧力」を世界に訴えることができないのは、曖昧さを曖昧なままにしておくためなのだから、そもそも世界に訴えるというのは無理な話なのだが。
その「曖昧力」をどれほど分析できたのか楽しみに読み進めると、湿潤な気候や他国からの侵略に晒されなかった地理的な要素といったありきたりの話が出てきてちょっとがっかりする。日本の歴史に関する解釈も、ありきたりというか保守派が主張する歴史観に沿ったものだ。
ただし、友人との関係について、熱く激しく急速に接近する韓国と、緩やかに時間をかけて互いに歩み寄ろうとする日本の違いを自らの経験を元に語る部分は面白かった。ここに日本人の「曖昧力」の本質の一部が現れているような気がするが、残念ながら論考が深められていない。
しかし、「自慢をする必要はないが自信を持って曖昧力を世界にアピールせよ」という主張は傾聴に値するかもしれない。とはいえ、激しく自己主張をしなければ生き残れないような厳しい人間関係の国々に、互いの状況変化を敏感に感じ取ってさりげなく対応することが美徳とされる日本人の文化を伝えるのは容易なことではない。日本の社会ですら声高に権利を主張することで直近の利得がもたらされることが少なくないし、「やるかやられるか」の競争社会では自らの意見を主張しないことは競争に参加する意志がないとみなされるからだ。
しかし、「曖昧力」を声高に主張するというのは自己矛盾にならないか。
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