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『歌麿 抵抗の美人画』近藤史人(朝日新書 157)

歌麿 抵抗の美人画


『歌麿 抵抗の美人画』近藤史人(朝日新書 157)

著者はNHKのディレクター。本書では、ボストン美術館の歌麿コレクションに接した著者が、歌麿の人生の秘密に迫っている。

北斎や写楽、広重と違い、日本では歌麿の研究は少ない。歌麿が、美人画と同じように多数描いた春画を避けて論じるわけにはいかないからだ。本書も、歌麿の春画を避けて論じている。

ボストン美術館には、6500点に及ぶ浮世絵が秘蔵されてきた。明治期の貿易商スポルディング兄弟が寄贈したスポルディング・コレクションは「光にさらさないこと」が条件だったため、100年以上も公開されることはなく、浮世絵研究者の目にも触れることはなかった。ところが、所蔵品のデジタル化の流れの中で同コレクションもデジタル保存されることになり、日本人研究者と企業がそれにかかわることになったため、NHKがそれを記録することになったという。

スポルディング・コレクションの3分の1が歌麿の浮世絵であり、光に全く触れなかったために歌麿が多用した紫色が残っていた。浮世絵は、掛け蕎麦1杯の値段で売られていた庶民向けの娯楽だったので、ほとんどの場合には保存状態が悪く、また、絵画のように顔料ではなく染料で刷られていたため退色しているものがほとんどだという。

自ら「江戸絵師 紫屋 歌麿」と記すほど紫色にこだわりを持っていた歌麿の浮世絵を調べると、紫色を紅花の赤とツユクサの青でだしていることがわかった。紫色は、聖徳太子の冠位十二階で最高位の色に定められたように、高貴な色として庶民が衣類に使うことは許されなかったが、江戸紫というそれまでの紫色とは異なる紫色を作り出して、庶民の衣類にも使えるようになっていった。ところが歌麿は、紫色の衣類には手が出なかったであろう海女や下女にまで紫色の着物を着せている。ここに「抵抗の美人画」という性格を著者は見出している。しかし、紫色を作る青をなぜ藍ではなく退色しやすく、友禅染めの下絵にしか使われていなかったツユクサを歌麿は使ったのか。ツユクサでなければ出せない紫色にこだわったということなのだろうか。

寛政年間の天才的な出版プロデューサーである蔦屋重三郎に見出された歌麿だが、その半生は不明だ。蔦屋と共に吉原で暮らすうちに美人画を描くようになるが、寛政の改革によって狂歌絵本や浮世絵を禁じられる。歌麿が考案したバスアップショットである美人大首絵に女の名を書き入れることを禁じられ、封じ絵を編み出す。その封じ絵が禁止されると働く女シリーズを描くが、美人大首絵が幕府に禁じられる。後年は、入牢3日手鎖50日の刑も受ける。

寛政の改革という綱紀粛正の嵐が吹き荒れる中で、歌麿は幕府から「淫ら」とされた浮世絵を描き続けた。だから「抵抗」の浮世絵師なのである。

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