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昼食難民の新書生活

(新宿・秋葉原・芝浦など各地でのランチと読書)

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『日本の深層文化』森浩一(ちくま新書 791)

日本の深層文化



『日本の深層文化』
森浩一(ちくま新書 791)


考古学の泰斗による日本の古い文化に迫る試み。粟・野・鹿・猪・鯨の5つのテーマで、日本の深層文化を明らかにしようとしている。「あとがき」で「長年にわたって蓄積した知識が凝縮したもの」と書いているとおりに、広範で深い知識と洞察に満ちた本になっている。

第1章は穀物のアワについて。禾という漢字も「アワ」を意味するが、一部の考古学者はこれを無理やり「コメ」と読む愚を犯しているという。稲作文化の始まりを重視するあまりに、縄文から弥生へ時代が変わると日本全土で一気に稲作が行われたかのように誤解しているためだと著者は言う。

しかし、われわれが稲と米という言葉を使い分けるように、古代人は植物名の禾とその種子である粟を使い分けていたのだ。しかも、粟は米と並んで租という税の徴収対象になっており、古代人にとって極めて重要な穀物だった。

著者は、阿波や安房といった地名も穀物のアワが起源であると考えている。日本列島に稲作文化がもたらされる前には、アワが主食として栽培されていたのである。ところが、米と違って粒の小さなアワは遺物として残らず、焼き畑で栽培されていたため水田のような遺跡も残らなかった。

第2章は「野」について考察である。古代における「野」は、単なる草原の平らな土地のことではなく、大王や天皇が遊猟を行う場所のことであった。その狩猟も、対象は鹿や猪などの動物だけでなく、平定すべき土俗集団であった。また、天皇がたびたび遊猟に出掛けたのは、獲物を神に捧げるための神事であったのではないかと推測している。

第3章は「鹿」について。土器や埴輪、銅鐸に描かれた鹿と人間の構図から、著者は鹿が動物の鹿ではなく、征服勢力に恭順を示した土俗の集団ではないかという。人間が鹿の角や体に触れているからだ。その証拠に、記紀や風土記に恭順の儀式として征服された側が鹿の扮装をしたことを伺わせる記述があることを指摘している。

第4章では「猪飼部」について書いている。著者は、古墳時代の猪飼部を重視しているという。現代の豚のように繁殖させていたか、猪の子供であるうり坊を捕って来て育てたかは不明だが、古墳時代には猪を飼育する専門集団がいたほど社会は分業化していたのである。播磨の小野にいた猪飼部は日向国(現在の宮崎県だけではなく、熊本や鹿児島も含んだ広い地域)から来たという。

第5章では、鯨がヤマト王権にとっては馴染みのある食料であり、それ以前から捕鯨が行われていたことを明らかにしている。

80歳を越えてなお著者の研究意欲は旺盛であり、解けない疑問を「課題」として自らに課しながら後進たちへテーマとして示しているようだ。

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昼食時は「難民」と化して「新書」を片手に、都内各地を彷徨っています。

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