『精神障害者をどう裁くか』岩波明(光文社新書 398)
2009-11-03

『精神障害者をどう裁くか』岩波明(光文社新書 398)
『狂気という隣人』でも書いていたが、著者の岩波明によると日本の司法と医療機関には、連携に関して大きな問題があるという。司法は精神障害者を医療機関に渡した後は一切の責任を負おうとしないし、医療機関は犯罪者であるよりも精神疾患の患者として扱うからだ。ほとんどの医療機関では、犯罪を起こした精神障害者が入所した場合にも、精神的な治療効果があれば外出を認められたり、退院させることも少なくないという。
しかし、日本では精神障害者が犯罪の加害者になる比率は決して低くない。平成18年には殺人の「9.6%」、放火の「15.2%」が精神障害者による犯罪であった。こうした重大事件において、心神喪失や心神耗弱が認定され不起訴となったり、公判で無罪となったりした場合には、一般感情としてどこかやりきれない思いが残ることは少なくない。岩波は精神科医の視点からみても、「裁判所の精神障害者に対する判断は、時に過剰なほど苛酷である」としながら、その一方で「刑が軽すぎる」という印象を抱いているという。そこにあるのは「厳罰化」と「野放し」でしかないからだ。
宅間守による大阪池田小事件をきっかけに犯罪を犯した障害者の処置の法的根拠となる医療観察法が制定されたが、この法律には重大な欠陥がある。人格障害や知的障害、発達障害は、薬物などによる治療効果が望めないため、法律の対象外となっている点だ。宅間は池田小事件以前に婦女暴行や同僚に精神安定剤を飲ませる傷害事件を起こしていたが、統合失調症(当時は、精神分裂病)の詐病によって不起訴となっていた。宅間は人格障害であったとされるが、医療観察法の適応外となる。しかし、人格障害については責任能力があるというのが日本の裁判所の立場なので、通常の犯罪者と同じように裁かれることになった。
犯罪を起こしたことを深く反省し、被害者に謝罪したり賠償を行った被告は、裁判で情状酌量が認められることが多い。しかし、犯罪を起こした自覚すらない精神障害者が再び社会に放たれても、十分な更正処置や監視は行われていない。
精神障害者をどう裁くかは、ルール作りも含めて一部の司法関係者だけでなく我々の社会全体が早急に対応しなければならない問題なのである。
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