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『原始の神社をもとめて―日本・琉球・済州島』岡谷公二(平凡社新書 488)

原始の神社を求めて


『原始の神社をもとめて―日本・琉球・済州島岡谷公二(平凡社新書 488)

韓国には、沖縄の御嶽(うたき)と同様の自然崇拝の場である「堂(タン)」があるという。地霊や祖先崇拝の祭事を行っていた「堂」は、儒教の浸潤とともに廃れていった。さらに、1970年代に朴正煕大統領が推進したセマウル運動(農村開発計画)によって、淫邪とされて破壊されたり、忘れ去られている。

著者は済州島の「堂」を訪ねるが、儒教化を免れたこの島でさえ「堂」は人々の記憶から消滅しようとしている。著者は、朝鮮半島西岸の多島海の島々を訪ねるが、そうした島では「堂」の痕跡すら残っていないものも多く、キリスト教徒によって神木が切り倒されたり、幹に十字架が刻まれていたこともあった。キリスト教には土俗的でアニミズムを根絶させてきた歴史があるが、朝鮮半島でも「堂」の破壊を積極的に推進したのである。

第四章では、沖縄の御嶽(うたき)について書かれている。著者が御嶽を初めて見たのは、昭和36年に石垣島の大石垣御嶽だった。人工物のない透明で静かな空間に深くひかれた。次に、波照間島北部で中央に大きな広場のある御嶽を見る。

そこに、著者は原始の神社を見る。「天を摩するゴシックの大聖堂に代表される、自分たちの信仰を形あるものにせずにはいられない西欧人の信仰のありかたと、その対極をなる、形あるものを忌み、目に見えないものを信じる日本人の信仰のありようとの相違について、長いこと考え続けてきた」p.84

古代の神社は、御嶽と同様に社殿のない森であった。神社を「もり」と読む用例は『万葉集』第二巻にも見られる。

高市皇子尊城上殯宮之時柿本朝臣人麻呂作歌

[原文] 哭澤之 神社尓三輪須恵 雖祷祈 我王者 高日所知奴
[仮名] なきさはの もりにみわすゑ いのれども わがおほきみは たかひしらしぬ

神社の社殿は、4~5世紀には作られるようになっていたが、官社とされた神社の社殿造営の命が正史に現れるのは、『日本書紀』天武10年(681)正月十九日の条に、「畿内及び諸国に詔して、天社地社の神の宮を修理(おさめつく)らしむ」とあるのが初めてである。(改行)神社に社殿が設けられるようになったのは、仏教寺院の影響によるものとされることが多い。

記紀には出雲大社や伊勢神宮の記述があり、200年後に書かれた『延喜式』(927年)には、2861社3132座の神社が記載されており、現在もそのほとんどが残っている。

神社が縄文遺跡と深い関係にあることが遺跡に発掘によりわかってきている。『延喜式』に記載されている式内社には、縄文遺跡の近くにあって、往時は縄文人の祭祀場であったと想定されるところや、縄文土器や石棒などを神宝やご神体としているところもあるのだ。長野の諏訪大社のように、明らかに縄文時代の姿を残した祭祀を今なお行っているところもある。

韓国の「堂」や沖縄の「御嶽」に古形を残した「原始の神社」の真の姿が、今後の研究によって明らかにされる日は来るのだろうか。

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