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『歎異抄の謎―親鸞をめぐって・「私訳 歎異抄」・原文・対談・関連書籍一覧』五木寛之(祥伝社新書 188)

歎異抄の謎


『歎異抄の謎―親鸞をめぐって・「私訳 歎異抄」・原文・対談・関連書籍一覧五木寛之(祥伝社新書 188)


親鸞が語り唯円が書いたものを、蓮如が禁書・秘本にしたとされる『歎異抄』。本書は、副題の通りエッセイと五木による同書の現代語訳、原文、『歎異抄』を関西弁で訳した川村湊と五木の対談で構成されている。

五木は、歎異抄がブームになっていると書いているが本当だろうか。般若心経のように多数の解説書が発表されているわけではない。

五木は『歎異抄』を若いころから「暗記するほど」何度も読んだと書いていて、読むたびに謎が現れそれが解けいないと何度も書いているが、本書でその謎には迫っていない。

例えば、悪人正機説。

善人なほもて往生をとぐ、いはんや悪人をや。しかるを世の人つねにいはく、
「悪人なほ往生す、いかにいはんや善人をや」。

自らを「煩悩具足の凡夫」と認識したところで、専修念仏のみが浄土への道と言われてもそもそも阿弥陀仏を信仰しなければ悪人である私は救われないのだろう。

そもそも私にとって「専修念仏」は理解を越えたものである。なぜなら、専修念仏よりも前に浄土思想を納得しなければならにからだ。それは、肉体が滅んだ後に、肉体以外の何かが行く世界があることを納得しならない。そして、その世界は浄土と呼ばれ阿弥陀仏が導いてくれる世界と、そうではない世界があるということを納得しなければならない。さらに、人によって浄土に行く人と浄土には行けない人があることを納得しなければならない。浄土に行くかどうかは、生前の行いではなく、阿弥陀仏に帰依したかどうかによると言われても理解を超えているとしか言いようがない。

『歎異抄』はそのタイトル通りに、親鸞の死後、教団内に発生した異端を嘆き、親鸞の言葉を伝えるために書かれたものである。だから、専修念仏の本義について『歎異抄』を読んでもさっぱりわからないことになる。

やはり、『往生要集』や『選択本願念仏集』にあたらなければ、称名念仏の本質は理解できないということだろうか。あるいは、梅原猛や阿満利麿の新書を読めば少しは『歎異抄』を理解できるのだろうか。

※2010年3月14日に『梅原猛の『歎異抄』入門』を読んだ。


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