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『謎の渡来人 秦氏』水谷千秋(文春新書 734)

謎の渡来人 秦氏


『謎の渡来人 秦氏』水谷千秋(文春新書 734)


古代最大の氏族とされる秦氏は謎の渡来系氏族である。本書は、その謎に迫ろうとしている。

秦氏は、山背国(京都府南部)を拠点として日本最大の規模と分布を誇りながら、政治の前面に出たのは少ない。

秦氏はどこから来たのか。『日本書紀』によれば、秦氏が日本に来たのは応神天皇の時代だとされる。新羅や百済などから多くの渡来人がやってきたことが記されている。また、『古事記』によれば、「又秦造之祖 漢直之祖 及知釀酒人 名仁番 亦名須須許理等 參渡來也(また秦の造の祖・漢の直の祖、及び酒釀むを知る人、名は仁番またの名は須須許理等、參い渡り來たり。)」とある。

秦の始皇帝の末裔という伝承から中国が挙げられる。また、秦氏の伝説的な始祖とされる弓月君の「弓月」という言葉について、斎槻(ゆづき)ではないかとして、『万葉集』の巻第7-1087と1088に斎槻の意味で「弓月」と書いた例があるとしている。

ところが、ここで著者が引用しているのは『万葉集』巻第11-2353の「長谷 弓槻下 吾隠在妻 赤根刺 所光月夜邇 人見點鴨 一云 人見豆良牟可(はつせの ゆつきがしたに わがかくせるつま あかねさす てれるつくよに ひとみてむかも ひとみつらむか)」なのである。「弓月」ではなく「弓槻」と表記している歌だ。

実際の『万葉集』巻第7-1087と1088は、以下の歌である。

詠雲
1087 痛足河 〃浪立奴 巻目之 由槻我高仁 雲居立有良志(あなしがは かはなみたちぬ まきむくの ゆつきがたけに くもゐたてるらし)
1088 足引之 山河之瀬之 響苗尓 弓月高 雲立(あしひきの やまがはのせの なるなへに ゆつきがたけに くもたちわたる)

「弓月」という表記は「1088」だけである。この2つの歌の後に「右二首柿本朝臣人麻呂之歌集出」と書かれていて、『万葉集』のベースになったとされる「柿本人麻呂歌集」が原典らしい。2つの歌は雲を詠んでいて「ゆつきがたけ」は山のことだ。2つの歌からは斎槻と山の関係がよくわからない。

それにしても、どうしてこんな引用のミスが起こるのか。担当編集者は仕事をしていないようだ。

6世紀前半に日本の人口が400万人程度だったころに、秦氏は17万人で全人口の5%を占めどの氏族よりも多い人口を誇っていたとされる。彼らが本拠地したのは山背国の東部の深草と、西部の桂・嵯峨・太秦。

秦河勝は聖徳太子との密接な関係で歴史に名を残しているが、他の渡来系氏族と違って秦氏は政治に深くかかわらなかった。しかし、桓武天皇が遷都した長岡京や平安京は秦氏が基盤とした山背国であり、秦氏の経済的支援なしには実現しなかったはずだ。

本書では、秦氏のさまざまな謎を挙げているが、論考はなかなか核心に至らず周辺を迷走し続ける。秦氏が謎に包まれていることはわかったが、残念ながら謎を解明するには至らずに終わる。

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