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『タイ 中進国の模索』末廣昭(岩波新書 1201)

タイ 中進国の模索


『タイ 中進国の模索』末廣昭(岩波新書 1201)


アジア経済が専門の著者は、前著『タイ 開発と民主主義』に引き続き、1988年以降のタイ王国の政治と経済状況を見事に活写している。

タイは1990年代以降の急速な経済発展で、1人当たりのGDPが3000ドルに近づき、すぐにも中進国の仲間入りかと思われた。それは農業国からコンピュータ部品などを生産する軽工業国への転換でもあった。しかし、バブルの果てに通貨危機を引き起こし、経済は停滞することになった。著者は、タイはもはや開発途上国ではなく中進国と呼んでも過言ではないほど発展したのだが、まだ中進国入りを「模索」している段階にあるとする。

流血事件の当事者双方が国王ににじり寄って調停が成立したり、軍事クーデターを行った兵士に黄色いシャツの集団(反タクシン派)が花を贈ったり、黄色いシャツの集団が首相府やスワンナプーム国際空港を長期間占拠したり、今度は赤シャツの集団(親タクシン派)が首相府などに血液を撒いたりして、なんだかタイの政治はエキセントリックでわかりにくい。著者は、「不安定な政権、安定した政治」と言われるタイの政治構造を詳しく分析している。

タイの政治は、都市と農村は2つの政治勢力が基盤となっているという。都市生活者が描く民主主義である「都市の政治」と地方に住む農民が描く民主主義である「村の政治」である。都市生活者が支持するのはクリーンで民主的な政治であり、農村生活者が期待するのは地元への利益誘導型の政治家である。「民主主義の二都物語」という言葉もあるほどだ。

タイの地方政治を長年続けてきた政治学者のジェームズ・オッケイは、「2つの民主主義論」に対してナックレン(親分肌の政治家)とプゥーディー(上流人士の政治家)という類型に分析しているという。住民の利益を庇護する「利益代表型」と、女性が役割を分担する社会で倫理や道徳、知識や専門性に基づいて「参加型」の政治を目指す政治家である。

タイにおける2つの政治勢力による対立構造は、日本の政治状況とよく似ている。2009年秋の総選挙で大敗するまで、自由民主党は地方への利益誘導型政治家を輩出してきた。その大ボスとして自民党幹部がいて、この国の政治は土建屋の仕事を増やすことが目的だった。自民党政権がとってきた公共事業による資産の再配分という仕組みは、民主党政権によって崩れつつあるが、民主党の実質的なオーナーとなった小沢一郎は、旧自民党的な体質であり「村の政治」を体現している。結局、民主党は小沢に軒先を貸して母屋を取られた烏合の衆でしかないことが露呈しているのではないか。

タイの王室は、日本の皇室に習って国民の“象徴”としての地位を築いてきたといわれる。

確かに、10年前少なくとも15年ほど前までは、飲食店や小売店のどの店でも王族の写真を見ることができた。戦前の日本のように額縁入りのラーマIV世夫妻を掲げる店はそれほど多くはなく、多く見かけるのは王族の写真入りカレンダーだった。最も多いのはプミポン国王だったが、人気の高いシリントーン王女(王位継承権第2位)はもちろん人気のない兄のワチラーロンコーン王子(王位継承権第1位)の肖像を印刷したカレンダーも少なくなかった。これを見るたびに「御真影」という言葉を思い出したものだった。

不思議だったのは、どの店でも王族カレンダーが必ずお客からよく見えるレジのそばに掲げられていたことだ。王族を敬愛するあまりに王族カレンダーを掲げているのではなく、「王族を敬愛しています」と表明することが大切だったのだろう。タイでは、テレビのニュース番組では必ず王族の動向が報道される。どんなに些細なニュースでも。

本書によれば、プミポン国王が政治の舞台に登場したのは1973年の「10月14日政変」からだという。その後、1982年に華々しく実施された「ラッタナコーシン王朝200周年祭」で永続する王室の象徴となった。そして、1992年の「5月流血事件」の歴史的調停で政治的役割を世界に知らしめることとなった。民主化運動の指導者と弾圧を行った軍部の双方の代表が国王の前ににじり寄る姿は、タイ国内だけでなく世界に人々に絶対君主的な「存在感」を示したのは記憶に新しい。

タイが近代化・現代化を遂げる中で、2001年に首相の座に就いたタクシン(本書の表記ではタックシン)元首相の果たした役割は大きい。タクシンの政策は、民主主義に反するという意味でタクシノクラシーと呼ばれるが、著者はその特徴を3つ挙げている。

1.国家と企業を同一視し、政治運営に企業経営のやり方をそっくり導入したこと。
2.あらゆる国家機関や公務員に「ビジョン・ミッション・ゴール」を要求し、その意図や努力ではなくパフォーマンスによって評価しようとしたこと。
3.都市と農村という二分法ではなく、都市部の大規模ビジネスと農村部の草の根経済の双方の振興を目論む「デューアル・トラック政策」、もしくは「両面作戦政策」を採用したこと。

タクシン元首相は、元々は警察官で警察局情報処理センターの所長だった1983年にコンピュータのレンタル事業に進出し、わずか10年で携帯電話、ケーブルTV、通信衛星などの事業を擁するタイ最大の通信財閥を築き上げた。タイがバブル経済で株価が高騰した1994年には外務大臣になっているが、閣僚の資産公開にもとづいて公表されたタクシンの個人資産は572億バーツ日本円に換算すると2300億円にも上ったという。フィリピンのマルコス大統領があらゆる手段を使って蓄財した資産が700億円だったというから、いかに短期間で莫大な資産を作ったかが分かる。

タイの証券市場は1997年の経済危機以降、急落して低迷するが、2006年1月、タクシン首相は一族が保有するシン・コーポレーションの全株式をシンガポールの投資会社に売却する。売却額は733億バーツ(2250億円)だった。この売却に先立って外資の出資規制を緩和したり、納税を忌避したため国民の猛反発をくらうことになった。

タクシンの政策は、市場原理主義による新自由主義であり、現代化のための国の改革、脱官僚、そしてポピュリズムだった点で日本の小泉“売国奴”純一郎によく似ている。ただし、小泉は日本の資産を海外に流出させただけで、タクシンのような莫大な蓄財はできなかったが。

タクシンの野望が崩れたのは、規制緩和を行い新自由主義による弱肉強食の原理を取り入れたことだけでなく、自ら「国の父(国王)」となろうとした点であると著者は分析している。国民からの圧倒的な支持を背景に、王族をないがしろにし、軍事費を削減するという「冒険」を軍部はもちろんタイ国民も許さなかったのだ。

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