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昼食難民の新書生活

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『中世を道から読む』齋藤慎一(講談社現代新書 2040)

中世を道から読む


『中世を道から読む』齋藤慎一(講談社現代新書 2040)


歴史を「道」からの視点で見直すという切り口は面白いのだが、残念ながら中途半端な内容になっている。

現在は、人や物の輸送ルートとしてしか使われない「道」だが、かつては情報ルートとしても重要な地位を占めていた。そして、道中の情報を記載した地図が存在しなかった中世には、遠隔地を結ぶ道を通行するためには、河川や山越えの峠、原野など自然環境自体が安全な通行を妨げていたことは想像に難くない。

本書でまず、引用されるのは上杉謙信や武田信玄といった戦国武将たちが残した書状である。それも「路次不自由」や「通路不自由」、「遠路」といった道やその通行の困難さを訴える書状だ。合戦に際して出兵しなかった言い訳であったり、連絡ができなかったことの言い訳、あるいは通行の困難さ予想できるので早目に準備せよといった催促など、内容はさまざまである。しかし、いずれも当時の長距離移動は、言い訳になり得るほど困難であり、兵を移動するためには周到な計画が必要だったことがわかる。

利根川や荒川など大河の渡河に舟橋が使われたことが説明されるが、架橋のための技術や資金・労力が不足していた時代では、増水時や敵が攻めてきたときに撤去しやすい舟橋が有効だったのだろう。渡し船では数千・数万単位の兵を渡河させることはできない。歩いて渡れる浅瀬がなければ、舟橋を使わざるを得なかったというのは当たり前のことだろう。

しかし、さまざまな文献からいくら「不自由」という言葉を収集しても、具体的な内容までは記述されていない。自然環境以外に通行を不自由にさせるものは何だったのか。戦乱の時代に敵対勢力が通行を妨害するのは当然だが、敵であることを見分ける方法はどういったものだったのか。古代以来の関所のようなものがあったとして、それは単に「通行税」を徴収するだけのものだったのか、あるいは通行を保証する「通行手形」があったのか。「通行税」はいくらだったのか。「通行手形」は誰がどんな権利で、それが有効な範囲はどこまでだったのか、など本書を読み進めるうちに疑問は山積みとなる。

本書の後半は「鎌倉街道」が廃道となった状況が延々と描かれるが、そもそも現在は上道・中道・下道と呼ばれている「鎌倉街道」の詳細が明らかになっているわけではなく、新たな道に代わったといわれても「そうですか」としか言いようがない。

また、本書全体に言えることだが、未整理で羅列するばかりで、時系列の記述になっていないため非常にわかりにくいし、該当する地図が未掲載の記述も多くて不親切な構成になっている。

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