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『源氏物語とその作者たち』西村亨(文春新書 C0295)

源氏物語の作者たち


『源氏物語とその作者たち』西村亨(文春新書 C0295)

紫式部は、藤原道長の娘である上東門院(一条天皇の中宮彰子)に仕え、『源氏物語』を書いたとされる。紫式部というのは本名ではない。藤原為時の娘で、その名前は『源氏物語』の「紫の上」と父の官位「式部丞」によるという。つまり、「紫の上」の物語を書いた「式部丞」の娘である女房という意味である。当時は、「和泉式部」のように夫である和泉守橘道貞の任地名と、父の官名を合わせて女房名がつけられるのが一般的だったとされるが、紫式部は『源氏物語』の執筆中からその名で呼ばれていたのだ。

紫式部が『源氏物語』の著者とされるのは、寛弘5年(1008)秋、彰子に皇子が誕生して50日の祝宴が行われた際に、藤原公任が「このわたりに若紫やさぶらふ」と紫式部を探し歩いた、と『紫式部日記』に書かれているためだ。また、推敲中の「巻」を道長が持ち去ってしまった、と書かれていることも根拠とされる。

本書は、1950年に武田宗俊が書いた論文「源氏物語の最初の形態」に寄りかかって展開される。『源氏物語』の第二部以降の著者は、明らかに紫式部ではないとした上で、武田の説に従って第一部を紫式部本人が書いた「紫の上系」と紫式部が書いていない「玉鬘系」に分けている。

武田によれば、紫式部が執筆したのは、桐壷・若紫・紅葉賀・花宴・葵・榊(賢木)・花散里・須磨・明石・澪標・絵合・松風・薄雲・槿(朝顔)・少女・梅枝・藤裏葉の17帖。現在伝えられている54帖のうち3分の1に満たない。著者は、このうち「紅葉賀」や「花散里」も紫式部の作ではないと見ている。

中宮彰子の女房たちは、紫式部以外にその娘の大弐三位、和泉式部とその娘の小式部内侍、赤染衛門、伊勢大輔など絢爛豪華な顔ぶれで、この中の誰かを『源氏物語』の作者と推定するのかと思いきや「作者たち」は読み進めても出てこない。

『源氏物語』の最終10巻の「宇治十帖」(橋姫から夢浮橋まで)については、古くから紫式部の執筆ではなく、後の人による追加であるとされてきた。安本美典が、1958年に本文の長さや和歌、品詞の出現頻度などを計量文献学で調べ、偶然では起こり得ない違いが存在するため紫式部が作者である可能性は低いとしている。

しかし著者が本書で試みているのは、安本のような客観性のある分析ではなく、『源氏物語』の世界と同時代の読者たち、そして作者が生きていた時代におけるふるまいが論理的に正しいかどうかという分析でしかない。50年以上も前に、計量文献学というツールで「宇治十帖」を精査している先人がいるのに、なぜか客観的な分析ツールを使おうとしないのか。わが国の国文学者は、単なる主観で説を唱えてもかまわないらしい。

終章は、「男性作家の登場」と期待を抱かずにはいられない題となっている。皇子誕生50日祝いの席で「このあたりに若紫やさぶらふ」と紫式部を捜したというエピソードが書かれているということは、すでにその時点で『源氏物語』の一部が評判になっていたという証拠だが、著者は宮仕えに出る以前に須磨・明石の巻前後まで進行していたのではないか、とする秋山虔の説に異論がないとしている(玉鬘系を除く)。

ところが、その舌の根も乾かぬうちに「紫式部の書く物語は、おのずから彰子の基本的に持つ思考・性癖・趣味・好悪等を反映していると考えていいだろう」と随分乱暴だ。宮仕え以前に書いた部分が、どうやって彰子の影響を受けるのか。

ここで、著者は唐突に『源氏物語』の作者として、藤原道長の長男で中宮彰子の弟である藤原頼通の名前を挙げる。紫式部のいた彰子邸にも自由に出入りでき、のちに平等院鳳凰堂を建てた頼通は、若くして後一条天皇の摂政となり、後朱雀・後冷泉三天皇52年間の摂政・関白となっている。のち太政大臣、准三宮となり、藤原時代の栄華を極めたが、荘園制度改革に失敗し、平忠常の乱や前九年の役などの戦乱によって“武士の時代”の到来を招くこととなった。頼通は日記を書いていたが散逸し、『院号定部類記』『改元部類』『園太暦』に「宇治殿御記」「槐記」として逸文が収められているという。

当然、この逸文と『源氏物語』を比較するのかと思いきや、「そんな時間的余裕」はないという。頼通を『源氏物語』と推定することが合理的である、という情況証拠にもならない理由で頼通の名前を挙げているだけだ。“仮説”と書いているが、これは“小説”である。長年、『源氏物語』を研究してきた人が、史料を使わずに推定しているだけなのである。この国の文学研究は、こんなにも自由自在なのかと開いた口がふさがらない。

50年以上にわたる研究の集大成としてこの程度の本を恥ずかしげもなく執筆した著者には呆れるしかないが、上梓した出版社・編集者にも呆れるばかりだ。

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