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昼食難民の新書生活

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『無縁所の中世』伊藤正敏(ちくま新書 843)

無縁所の中世


『無縁所の中世』伊藤正敏(ちくま新書 843)


『寺院勢力の中世―有縁・無縁・移民』に続く第2弾。期待の高さを裏切らない面白さで、読むスピードを抑えるのに苦労しながら読み進めた。短時間で読了するのが惜しいからである。

本書で、著者が明らかにするのは凄惨で暗黒と呼びたくなるような〈中世〉の実相である。勇猛な武士が割拠し、貴族たちから政権を奪取した武士たちの姿ではなく、陰惨な日々を送っていた民衆・大衆の生活でもない。寺院勢力という〈宗教〉が無縁所を武器に権力の1つとして、〈政治〉を動かしていた500年に及ぶ時代の再構築である。

日本思想史の盲点として著者が指摘しているのが、平安時代に神々が交代したことである。古来の神や記紀神話の神々、三輪山の大物主や葛城山の神などが影をひそめ、新しい神々が恐ろしい神威を振るうようになったのである(p.41)。しかしその神威は、神人や僧など人間が担っていた。

歯切れの良い文章が続くが、それは意図的なものだ。黒田俊雄を〈寺社勢力論の先駆者〉と評価する一方で、黒田が「一応別」「通ずる」などと留保をつけていることに対して〈回りくどくて躍動しない〉と批判している。言い切らなければ仮説にならないからだ。

中世の検断と徴税に名を借りた略奪の歴史が語られるが、源頼朝の時代はもちろん戦国時代に至っても、戦争時の恩賞は名のある武将に対してのみで、雑兵たちには支払われなかった。そこで雑兵たちは、敗者からあるいは関係の無い者たちから略奪することになる。そうしなければ彼らは生き残れなかったからだ。

これは何も遠い昔の出来事ではない。日本軍による“南京大虐殺”は〈軍紀の乱れ〉だけが原因ではなく、前線が中国内部へと侵攻するに連れて兵站が遅れたため、兵士たちの食糧を“現地調達”に任せたことによる敗者蔑視が増長したものだった。アメリカ軍だって、テレビドラマ「バンド・オブ・ブラザーズ」で描かれたように、兵士たちがドイツの市民から貴金属を個人的に徴収するようなこともあっただろう。勝者が敗者の財物を取得する権利、という思考回路はいつの時代にもどの国でも起こっている。

しかし、日本の中世の無縁所は、検断権と徴収権という国家権力の重要な要素を排除することに成功した。

古代から中世へと変わる中で、なぜ無縁所が必要とされたのか。著者は、網野善彦の分析が時代と地域を越えて人間社会に普遍的に存在するアジールに陥っていると指摘している。10年も前に読んだので詳細は覚えていないが、確かに網野の『無縁・公界・楽』には万能ナイフのような切れ味がある一方で、中世の社会が個人に切迫する生々しさからは遠く離れたものだった。

前著では、著者は網野善彦の継承者であるかのような記述もあったが、本書の終章は『無縁・公界・楽』を批判することで、無縁所の分析を深めている。その一方で自らを「安全なバスに乗っている」と卑下しているがとんでもない。日本の中世史に極めて大きく衝撃的な一石を投じているのだ。

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