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『正倉院文書の世界―よみがえる天平の時代』丸山裕美子(中公新書 2054)

正倉院文書の世界


『正倉院文書の世界―よみがえる天平の時代丸山裕美子(中公新書 2054)


正倉院宝物から誰もが思い浮かべるのは、日本史の教科書で見た色鮮やかな螺鈿細工の琵琶であったり、ペルシャ伝来の瑠璃碗であったりするが、実は1万点におよぶ膨大な文書も残されている。

「正倉院文書の世界」とは何か。

「終章 正倉院文書研究をめぐる環境」に、江戸時代と明治の初めに正倉院から持ち出された流出文書に著者が出会った際のことが書かれている

戸籍もあり、計帳もあり、寺院の造営に関わる文書もあり、仕事の自己申告書も、休暇願もあった。美しい紙もあれば、補修の跡が痛々しおおかな朱の印、緑青(白緑)による訂正のあとも、表情の異なる多様な文書たちがあらわれた。

どうして正倉院にそうしたさまざま文書が保存されることになったのか。

奈良時代に中央官庁の書類や諸国からの報告書は、戸籍でも30年を過ぎると処分され、裏紙がリサイクルされた。東大寺写経所では、天平時代に国家プロジェクトとして写経が行われていて、事務処理にそうしたリサイクルペーパーが使用された。正倉院には、そうしたリサイクルされ帳簿となった紙が残されていたのだ。

江戸後期の国学者である穂井田忠友が、東大寺写経書の裏にそうした記録が残っていることに気づき、一部を戸籍や計帳が書かれた表面を活かして編集し直し、明治時代に667巻5冊にまとめられた。

高校の教科書には、戸籍の一部が紹介されていた程度であったが、正倉院文書には天平時代の歴史の息づかいが残っている。

例えば、『続日本紀』巻十八には東大寺の盧舍那大仏開眼法要について、

天平勝宝四年(七五二)四月乙酉夏。盧舍那大佛像成。始開眼。」是日行幸東大寺。天皇親率文武百官。設齋大曾。其儀一同元日。五位已上者著礼服。六位已下者當色。請僧一万。

として、1万人もの僧が参列したことになっている。

正倉院文書のなかに「ローソク文書」という和ろうそく状に固まったものがある。その断片にインド僧菩提僊那を含む大安寺に属した僧の名簿があったことから、ローソク文書は開眼法要に参列した僧の名簿を大仏の基壇の下に埋めたものであることが明らかになるとともに、「請僧1万」が決して誇張ではなく実数であったことがわかっている。そして、藤原仲麻呂による独裁政治や橘奈良麻呂の乱や仲麻呂の失脚といった事件の背景や東大寺が仲麻呂に貸し出した経典の追跡をめぐる書類など、歴史的事件のドキュメントまで含まれている。

また、著者が大学生の時に発見し、レポートとして提出した話も面白い。

天平宝字2年夏の会計帳簿に「薬」の購入が異常に多いことから、祭祀と病気治療以外の飲酒を禁じる法令を逃れるために、「薬」と称して酒を購入していることを明らかにしている。

さらに、東大寺写経所で働いていた人々の食事内容や勤務形態までさまざま事務書類が残されていて、天平時代の庶民の生活まで垣間見ることができるという。「素麺を毎日食わせてくれ、制服を洗濯してくれ、休みをくれ」といった待遇改善の要望書まで残されていて、臨時職員であった写経所で働いていた人々が、比較的自由に要求を発言できる立場だったこともわかる。「天平びとの声が聞こえる」という帯の惹句は決して大げさな誇張ではないのだ。



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