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昼食難民の新書生活

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『倭人伝を読みなおす』森浩一(ちくま新書 859)

倭人伝を読み直す


『倭人伝を読みなおす』森浩一(ちくま新書 859)

本書は、著者が2010年1月から3月まで36回に渡って『西日本新聞』に連載した同名記事に加筆修正したものである。新聞連載が元になっているので、1回分が4ページ程度で読みやすい反面、論考が不十分なところも少なくない。

対馬から壱岐、唐津付近と「倭人伝」の記述順に著者が旅した紀行も記されているが、古代史の研究者の中には対馬を訪れたことのない人たちもいるらしい。そうした人に限って、邪馬台国畿内説を声高に唱えていると著者は呆れている。

ところで、著者は「邪馬台」を「やまと」と読むべきであると述べている。卑弥呼の後継者として13歳で女王となった台与を「とよ」と読むように、そもそも本居宣長が敢えて「やまたい」と読むまでは、「やまと」と読むのが一般的だった。そもそも本居宣長は、大和朝廷への連続性を否定するために、漢音と呉音を混用して「やまたい」という間違った読みを付けている。その元になったのは、「皇室が中国に朝貢するはずがない」という国粋思想である。

著者は、大和王権という表記にも異を唱えている。最近ではヤマト王権やヤマト政権と書かれることが多くなったが、畿内説を主張する人々による行き過ぎた大和中心主義だと考えているからだ。そもそもヤマトを大和と書くようになったのは孝謙上皇の時代からで、それ以前を大和と書くのは間違いである。それは「15世紀の頃の東京では」と書くくらい愚挙である。

そもそも「やまたい」と読んだのは国学者の本居宣長が最初であると考えられている。新井白石が記した「古史通或問」や「外国之事調書」では、その場所を大和国や山門郡と説いていることから、白石は「やまと」と読んでいたことがわかる。

一般的には「魏志倭人伝」というが、正確には『三国志』魏書第三十烏丸鮮卑東夷伝倭人条である。「倭人条」ではなく「倭人伝」と呼ばれるようになったのはなぜか。そして、どうして誤った略称で呼ばれることになったのかはわからないが、倭人条の約2000字におよぶ記述は朝鮮半島の国々の記述よりも長く詳しい。それだけ晋(三国志を書いた陳寿)が倭人に高い関心を持っていて、かつ情報を得ていたことを示している。東夷伝には、夫余・高句麗・東沃沮・韓・倭人の順に書かれているが、なぜ倭ではなく倭人としたのか。陳寿が、倭をまだ国邑の集合体の段階にあり国家とはみなしていなかったからだろう。

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