TOP > スポンサー広告 > 『日本的感性―触覚とずらしの構造』佐々木健一(中公新書 2072)TOP > 新書 > 『日本的感性―触覚とずらしの構造』佐々木健一(中公新書 2072)

昼食難民の新書生活

(新宿・秋葉原・芝浦など各地でのランチと読書)

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

『日本的感性―触覚とずらしの構造』佐々木健一(中公新書 2072)

日本的感性


『日本的感性―触覚とずらしの構造』佐々木健一(中公新書 2072)

本書は、美学に標準化された「目次」を創造するための試み、だという。

「日本人の個性的な感じ方に注目し、そこから新しい美学のモチーフを汲み取りたい」そして「ローカルな特殊性のなかに閉じこもることではなく、あわよくば世界の美学への寄与となるような新しい美学を、日本的な美学のなかに求めたい」という壮大な研究テーマである。

美学が対象にしてきたのは表現されたものであって表現の元になった「感性」ではなかった。しかし、美学を研究する著者が感性を論じる根拠はある。英語で美学はaestheicsと言うが、これは「感性学」という意味だからである。

著者は、この「日本的感性」を和歌から抽出しようとする。『万葉集』や『二十一代集』による和歌の解釈を通して、用語から日本的感性を抽出する試行錯誤が続く。

『万葉集』の第十一巻と第十二巻は「柿本人麻呂歌集」が元になっているといわれる。梅原猛のようにこの2つの巻こそが原・万葉集であるという人もいる。それはともかく、『万葉集』の「寄物陳思(物に寄せて思いを述ぶる)」と「正述心緒(ただに思いを述ぶる)」は、柿本人麻呂が発明した分類であるらしい。『古事記』仮名序に「心に思うことを、見るもの聞くものにつけ、言ひ出せるなり」も「和歌」の本質だと述べている。

250ページに及ぶ古代・中世の和歌解釈が続く。著者自身が書いているように「試行錯誤」の道程であり、いつになったら結論に至るのかと訝しむばかりだ。迂遠な思考過程を読まされるのが嫌ならば、終章の「結び 日本的感性の構造」から読んだほうがいいだろう。

ところが、終章の「日本的感性の構造」でようやく結論を聞かされるのかと思ったら、またもや構造どころか隘路に迷い込む。

「おもかげ」や「なごり」が日本的な情緒であるとして、それが仮に欧米では珍しい心のざわめきだとしても、隣の朝鮮半島にはないのか。中国には、モンゴルには、ベトナムには、カンボジアにはないのか。本書は一切答えていない。「日本的」とする根拠は最後まで示されないのだ。となると、本書は「日本の古代・中世和歌における感性の叙述表現」というものではないか。

残念ながら当初の壮大な計画とは違ったものになっているのだ。

関連記事

コメント

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事へのトラックバックURL
http://pasage.blog43.fc2.com/tb.php/923-9bbafb02

 | HOME | 









ブログランキングに参加中です

リンク

お気に入りに追加
このブログをリンクに追加する

最近の記事

にほんブログ村ランキング

ブログ内検索

Loading

カテゴリー


全記事一覧(500件ごと)

カレンダー+月別アーカイブ

ケータイ版URL

QRコード

RSSフィード

プロフィール

Author:pasage
昼食時は「難民」と化して「新書」を片手に、都内各地を彷徨っています。

FC2Ad

Template by たけやん

QLOOKアクセス解析

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。