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『天皇はなぜ万世一系なのか』本郷和人(文春新書 781)

天皇はなぜ万世一系なのか


『天皇はなぜ万世一系なのか』本郷和人(文春新書 781)

「はじめに」で著者も書いているように、第一章から第四章までは歴史研究者としての「存在証明」として平安から戦国時代にかけての権威・権力の継承要件を「才能・世襲・徳行」の3つに分析して見せる。

ヤマト王権は、隨に律令制を学んだが、なぜか国家を効率的に運営するために必要な官僚制度を採り入れなかった。古代日本と同様に律令制を学んだ朝鮮やベトナムは、科挙による官僚制を採り入れているが、なぜわが国は敢えて導入しなかったのだろうか。おそらく律令制を取り入れるころには、すでに世襲がしっかりと根付いていて権力をわが子に継承したいと考える有力者達にとっては、才能によって権力を分配する官僚制度は到底受け入れられるものではなかったのだろう。

爾来、1000年以上に渡ってわが国では権力の継承方法として世襲が固定化する。平安貴族が「家の格」によって生まれながらに出世ルートが決まっていたことは有名だが、有力な寺院の貫主には皇族を迎え入れるのが一般的だったし、学僧(学衆)にも有力貴族の子弟しかなれなかった。武士も多くは「家の格」によって出世は決まっていた。戦国時代であっても、下克上とは名ばかりで油商人から戦国大名まで上り詰めたとされる斎藤道三ですらも、実際には父の長井新左衛門尉と2代にわたる国盗りだたことが明らかにされている。織田信長だけが、才能による登用を積極的に進めたために、羽柴秀吉が後継者にまで上り詰めることができたが秀吉自身は世襲を望んだ。

第五章では、武士の才能と家の継承について述べている。戦乱の時代には、能力の高い人材を登用する合理主義が採られるが、平和な時代には「徳性」が尊ばれ、やがて世襲へと変化していく。注意すべきなのは世襲が「血統」というDNAの継承ではなく、あくまで「家」の継承であることだ。だから、家を継ぐ者がいなければ、躊躇なく養子を迎えて「家」の存続を図る。「家」は、土地所有によって毎年必ず稔りをもたらしてくれる。だから、継承すべきなのは血統ではなく「家」なのだ。しかし、江戸時代に入ると儒教それも朱子学の影響で祖先崇拝が強まるとともに、世襲が一般化していく。ボンクラが続いても、いつまでも権威と権力は世襲されていくことになる。将軍といっても多くの場合には絶対君主ではなく、象徴天皇に近いものだったのである。

明治維新は地方の下級武士を中心に成し遂げられたが、才能によって政府高官となった彼らは世襲を望まなかった。「児孫の為に美田を買わず」は下野した西郷隆盛の言葉だが、伊藤博文や大久保利通、そして山県有朋ですら自らの子供を優遇することはなかったという。

著者は触れていないが、よく言われるようにキリスト教の影響もあるのではないか。欧米で近代国家の仕組みを学んだ元勲たちは、国家権力を支える権威として一神教があることを知った。八百万の神を敬うアニミズム的な神道では未開国のようで恥ずかしいだけでなく、近代国家の精神的支柱として絶対神による統治までを真似ようとした。そこで持ち出されたのが、「万世一系」だったのではないか。

しかし、男系天皇による系譜には真の祖先崇拝を否定する側面があることを忘れてならない。家系図では1本の線を遡るように書かれるが、誰でも両親2人の親から産まれるので、父母は2人で祖父母は4人と2のn乗で逆三角形となるように増えていく。すると、実在が確実とされる継体天皇は第26代なので、第125代の今上天皇までに99代とするならば、重祚が2例で兄弟姉妹間継承が27例だから70人は親が異なることになる。では、2の70乗は何人になるか。1,180,591,620,717,412,606,848=118垓0591京6207兆1741億2606万848という天文学的数字になってしまう。

ともかく、世襲はわが国の隅々に宿痾のように色濃く残っている。例えば、梨園は才能や徳行に関係なく、名跡に生まれた子供は将来の主役を約束されているし、国会には3世・4世議員がいる。1000年続く企業があるの世襲のお陰である。

終章でようやくタイトル通りの論考が始まる。著者は、明治政府が

 官僚-才能〈都市部〉
 民 -世襲〈農村部〉

という構造に、世襲を体現する天皇を全面に押し出すことで、

 天皇-世襲
 官僚-才能
 民 -世襲

とすることで、「官〈都市部〉」と「民〈農村部〉」の対立を避けた、としている。

この国の歴史上初めて官僚制度を採用したことによる混乱を避けるためだったということだろうが、本当にそういうことだったのか。紙数が少なすぎて論考が物足りないように思える。やはり羊頭狗肉の観は否めない。終章だけの内容でぜひ1冊書いてほしい。

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