TOP > 新書

昼食難民の新書生活

(新宿・秋葉原・芝浦など各地でのランチと読書)

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

『知の逆転』ジャレッド・ダイアモンド/ノーム・チョムスキー/オリバー・サックス/マービン・ミンスキー/トム・レイトン/ジェームズ・ワトソン 吉成真由美インタビュー・編(NHK出版新書 395)

2014092619010976a.jpg


『知の逆転』ジャレッド・ダイアモンド/ノーム・チョムスキー/オリバー・サックス/マービン・ミンスキー/トム・レイトン/ジェームズ・ワトソン 吉成真由美インタビュー・編(NHK出版新書 395)


本書は、20世紀最高の知性で世界を変えた6人の巨人へのインタビュー集。

インタビュアーは、元NHKディレクターでサイエンスライターの吉成真由美。巨人たちとのインタビューすることができたのは、彼女自身がMIT出身ということもあるだろうが、ノーベル生理学・医学賞受賞者の利根川進の妻であることが大きく作用したのだろう。

【目次】

まえがき
 敵が百万あろううとも/失われしロマンを求めて
第1章 文明の崩壊(ジャレド・ダイアモンド)
 『銃・病原菌・鉄』から『文明崩壊』へ
 第三のチンパンジー
 セックスはなぜ楽しいか?
 宗教について、人生の意味について
 教育の将来
第2章 帝国主義の終わり(ノーム・チョムスキー)
 資本主義の将来は?
 権力とプロパガンダ
 インターネットは新しい民主主義を生み出すか
 科学は宗教に代わりうるか
 理想的な教育とは?
 言語が先か音楽が先が
第3章 柔らかな脳(オリバー・サックス)
 なぜ「個人物語」が重要なのか
 音楽のちから
 人間に特有の能力について
 生まれか育ちか? 遺伝子か教育か?
 宗教と幻覚の関係
 インターネットが脳に与える影響
第4章 なぜ福島にロボットを送れなかったか(マービン・ミンスキー)
 人工知能分野の「失われた30年」
 社会は集合知能へと向かうのか
 「エモーション・マシーン」としての人間
第5章 サイバー戦線異状あり(トム・レイトン)
 インターネット社会のインフラを支える会社
 サイバーワールドの光と影
 アカマイ設立秘話
 大学の研究と産業との新たな関係
 教育は将来、どう変わっていくのか
第6章 人間はロジックより感情に支配される(ジェームズ・ワトソン)
 科学研究の将来
 個人を尊重するということについて
 真実を求めて
 教育の基本は「事実にもとづいて考える」ということ
 二重らせん物語
 尊厳死について
あとがき


世界的ベストセラー『銃・病原菌・鉄』の著者であり人類生態学者のジャレド・ダイヤモンド、「生成文法」の生みの親のノーム・チョムスキー、『レナードの朝』の著者であり脳神経学者のオリバー・サックス、「人工知能の父」であるマービン・ミンスキー、世界最大手のコンテンツデリバリネットワーク事業者アカマイ社を創業したトム・レイトン、そして二重らせんのジェームズ・ワトソンと豪華なラインナップになっている。

これだけの知の巨人が揃えば面白くないはずはなく、非常に濃密で知的興奮を得られる優れたインタビュー集になっている。

それぞれの専門分野に関する質問はもちろんだが、インターネットや教育、宗教、推薦図書など共通の質問をしていてそれぞれの違いが面白い。

「人生の意味」についての質問に、ダイアモンドは明確に答えている。

「人生の意味」というものを問うことに、私自身は全く何の意味も見出だせません。人生というのは、星や炭素原子と同じように、ただそこに存在するというだけのことであって、意味というものは持ち合わせていない。(p.56)

集合知能については、ミンスキーとワトソンが同じような考えだ。

ミンスキーは、集合知能ということを言う人たちは、集合知能が個人の知能を上回る、というようなあらっぽい言い方をしたがると言う。しかし、アメリカ人がこぞってブッシュを大統領に選んだときは、もちろん集団が大間違いをしたわけだ。

ワトソンは、「総意というものは往々にして間違っているものです」と答えている。だから、科学を促進させるためには、「個人」を尊重することが大切なのだ。

本来は、人はみなそれぞれに異なっているのに、同じだとみなさなければいけなくなってきている。同時に、あるもののほうが別のものよりもいいという言い方は避けて通るようになってきてもいる。だから、どの花も全て同じように咲くんだと言う。ごまかしです。(p.274)

運動会の徒競走で順位をつけなかったり、主役だらけの学芸会が話題になったことがある。権利の平等は重要だが、個人の能力や個性を無視した平等は悪平等にすぎない。さらに、個人の才能を尊重せずに、突出した才能は開花しないし、世界を変える科学的発見は生まれないのだ。

ワトソンは、「何としてでも、卓越した若い人材がのびのびと活躍できるようにしておかなければならないとして、次のように答えている。

われわれの分野では、15歳ではまだ才能を見出だせないが、おそらく19歳くらいまでには、誰が世界を変えようという気概を持っているか、誰は全く変えなくてもハッピーなのかが大体わかるようになると思います。(p.278)

ワトソンがDNAの二重らせん構造を発見したのは25歳、チョムスキーが「生成文法」を提案したのは20代後半、ミンスキーがMIT人工知能研究所を創設したのは32歳のことだった。



↓ブログランキングに参加中です。
にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ



『頭の悪い日本語』小谷野敦(新潮新書 568)

2014091918463291b.jpg


『頭の悪い日本語』小谷野敦(新潮新書 568)


とても不思議なことだが、いまだに「すべからく」を「すべて」と勘違いして使う人が少なくない。「すべからく」は「〜べし(または、そうあってほしいという当為の表現)」を伴って、「ぜひとも〜しなければならない」という意味だから、「すべて」という意味で使うのは完全な誤用だ。

評論家の呉智英が、「すべからく」を「すべて」の高級表現と勘違いして使うスノビズムの恥ずかしくも愚かな誤用を指摘したのは30年以上も前のことなのに、なぜか一部の知識人の間では「すべからく」が人気らしく、誤用のまま出版されている本や雑誌がある。

本書は、そうした誤用や重言、「ルサンチマン」や「上から目線」など、うかつに使用すると「頭が悪い」とみなされてとても恥ずかしいことになる350語を採り上げている。

【目次】

第一部 気持ちの悪い日本語
 ①誤用編
 ②重言にご注意編
 ③インテリぶりたい人編
 ④間違いじゃないのに編
 ⑤差別語(狩り)、過剰敬語編
 ⑥嫌なことば編
第二部 「日本語」勘違い
 ①政治編
 ②法律編
 ③大学編
 ④名誉編
 ⑤病気編
 ⑥文化編
 ⑦伝統文化編
 ⑧落語のことば編
 ⑨エロティック編
 ⑩新語編
第三部 知って損はしない日本語の豆知識
 ①言葉豆知識編
 ②外来語編
 ③外国語豆知識編
 ④翻訳語編
 ⑤漢字編
 ⑥人名編
 ⑦地名編


文化庁の調査では「すべからく」を本来の意味である「当然、ぜひとも」で使う人が41.2パーセント、「すべて、皆」で使う人が38.5パーセントだったという。(平成22年度「国語に関する世論調査」)。

「頭が悪い」と言われないように、他山の石としよう。これも文化庁の調査では「先生を他山の石として頑張っています」といった正反対の意味で使う人が18.1%もいたという(平成16年度「国語に関する世論調査」)。

『ライ麦畑でつかまえて』(野崎孝訳)について興味深い指摘があった(p.132)。「catcher in the rye」は、「pass-by(通り過ぎる)」 を名詞化した「passer-by(通行人)」と同じく、「catch in the rye」という句があって「-er」をつけたものだというのだ。野崎はこれをわかっていて訳したという。村上春樹はこの問題を避けて『キャッチャー・イン・ザ・ライ』としている。

先日読んだ『日本霊性論』で内田樹は、主人公のホールデンが、ライ麦畑で遊ぶ子供たちが崖から落ちないための「歩哨」になることを望んでいたと書いている。つまり、「catch」は「捕まえる」のではなく「受け止める」ということなのだ。

本書で採り上げられている語のいくつかは、確かにうっかりすると誤用してしまうものもある。読んでいて「あっ」と声が出そうになったことばも少なくない。幸いまだ使ったことはなかったが、意味を完全に取り違えていたからだ。

すべからく日本語は正しく使うべし!


↓ブログランキングに参加中です。
にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ



『日本霊性論』内田樹・釈徹宗(NHK出版新書 442)

20140912221457b6b.jpg


『日本霊性論』内田樹・釈徹宗(NHK出版新書 442)


本書は、2つの集中講義を収録した二部構成になっている。

第一部は内田樹が2012年8月に相愛大学で行った三日間の集中講義「みんなの現代霊性論」、第二部は同年秋に内田が主催する凱風館寺子屋ゼミで釈徹宗が鈴木大拙の『日本的霊性』をテキストにしてに行った集中講義で、それぞれの講義録に加筆したものである。

東日本大震災以降、内田樹は「霊性の賦活が急務である」とし、霊性賦活への道筋として鈴木大拙の『日本的霊性』をしばしば引用したという。実は、内田と釈は『現代霊性論』を上梓しているので、2人は東日本大震災以前から「霊性」に注目していたのだ。

【目次】

第一部 なぜ霊性を呼び覚まさなければならないか(内田樹)
 第一章 先駆的な直感とセンサーの劣化について
  (1)「正しさ」を身体的に確信する
  (2)「シグナル」を感じる力の衰え
  (3)無意識に察知する
  (4)「事後的にわかる」知性
 第二章 人間社会に迫りくるもの
  (1)「心」の発見
  (2)人間集団が生き延びるための四つの柱
  (3)四つの柱が今、攻撃に晒されている
  (4)「内通者」たるものは何か
 第三章 このメッセージは私宛である
  (1)それは善きものか、悪しきものか
  (2)人間本質としての歩行
  (3)空位
第二部 「日本的」霊性と現代のスピリチュアリティ(釈徹宗)
 第一章 大拙の『日本的霊性』を読む
  (1)大拙が考えた「日本的霊性」
  (2)『日本的霊性』から日本の霊性を考える
  (3)人類のスピリチュアリティ
  (4)現代のスピリチュアリティ
 第二章 宗教的人格と霊性
  (1)人はいかにして冷静に目覚めるか
  (2)「妙好人」に見る宗教的人格
  (3)日本的霊性と現代スピリチュアルの違い
 第三章 霊性への道
  (1)日常の中で霊性を研ぎ澄ます
  (2)人間的な領域と非人間的な領域
  (3)自らを問う体系としての宗教
  (4)みんなの霊性論


本書における「霊性」とは、数値化できないものやエビデンスのないことといった、現代社会では「存在しない」ことになっているモノやコトとの境界線を感知する能力のことであり、鈴木大拙が説いた「宗教意識」に近い。

祈りについて、内田はこう書いている。

「聞こえないメッセージを聞き取ろうとする構え」が祈りの基本的な姿勢だと僕は思います。合掌して、センサーの感度を高めている。(p.29)

内田は、人は祈ることで人知を超えた災厄が襲ってくるのを想像するために感受性を高めているのであり、無意識や潜在意識のレベルでさまざまなシグナルを受信しているが、それは「生き延びていくための必須の能力」であり、先駆的な直感であるとしている。

内田は、共同体の4つの柱として「裁き・癒やし・学び・祈り」を挙げている。そして、この4つは市場原理に委ねてはならないとしている。「司法・医療・教育」は制度資本であり、政権が交代するたびに教育や医療のシステムが変わっては困るからだ。そして「祈り」は、「外界から到来するかすかなシグナルを聴き取るセンサー感度を最大化するもの」だという。

現代社会は、そのセンサーが鈍感になっているという。未知のものに対する怖れを失い、非人間的なものの侵入を感知できないようになってしまったのだ。しかし、そうした境界線を監視する人として「歩哨」の役割の重要性だ。そして、「裁き・癒やし・学び・祈り」の領域では、市場原理に左右されない歩哨が見張っていることが大切なのだ。

釈は、「宗教とは人間と非人間との境界線へと歩みをすすめる行為でもあります。仏教の説いている理想はずいぶんと非人間的なんです」と書いている。つまり、仏教は非人間的領域まで歩もうと志向しているのではないかというのだ。

内田の書いていることは脇道のそれた部分も含めて面白いのだが、「霊性」とどう結びつくのかよくわからない部分もある。しかし、第二部で釈が鈴木大拙の『日本的霊性』の講読から始まり、霊性やスピリチュアリティについて俯瞰し、続いて宗教的人格について具体的に紹介し、第三章では内田の第一部を含めて全体を総括してくれているので、読んでいてよくわからなかった部分が一気に明らかにされる。



↓ブログランキングに参加中です。
にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ


『ツカむ!話術』パトリック・ハーラン(角川oneテーマ21 D-19)

20140905183819c38.jpg



『ツカむ!話術』パトリック・ハーラン(角川oneテーマ21 D-19)


著者は、漫才コンビ・パックンマックンのパックン。

ハーバード出身のインテリだということは知っていたけど、2012年10月から東京工業大学で非常勤講師として「コミュニケーションと国際関係」を教えているとは知らなかった。

本書はその講義録ではなく、日本人の多くが苦手としている「話術」を身につけるためのさまざまなコミュニケーション技法を解説している。ビジネスパーソンにも、スピーチや会議、プレゼンテーション、交渉といったシーンで役立つテクニックが数多く紹介されている。

【目次】

第1幕 理論編—話術の基本テクニック
 第一章 話術は「習って慣れろ!」
 第二章 あなた自身でツカむ「エトス」
 第三章 「感情」によってツカむ「パトス」
 第四章 「言葉の力」でツカむ「ロゴス」
 第五章 相手の懐に入り込むには
幕間 対談—パックン×池上彰 対話で学ぶ「ツカみ」の極意
第2幕 実践編—現場で使える「ツカむ!話術」
 第六章 心を打つスピーチ、プレゼンの技術
 第七章 話し合いの場での話術
 第八章 騙す話術の見抜き方
 第九章 これが「ツカむ!話術」だ
 付録 「ハーバード流」自己紹介


著者が非常勤講師を引き受けることにして調べてみると、東工大の学生の約8割が「話し下手」に悩み、「コミュ障(コミュニケーション障害)」や「ボキャ貧(ボキャブラリーが貧困)」を自称していたという。

著者は、「日本人は、うまく話せないことを自分の性格的なものと捉えすぎる傾向がある」と何度も書いている。しかし、「トレーニングしていないのに、苦手だとか下手だとか決めつけるのはおかしい」と著者はいう。話術は練習すれば必ず身につくものだからだ。

「ツカむ」とは何か。著者は、話術で「人の心をツカむこと」だとしている。そして、話術の目的として「相手を動かす側に立ち、すなわち意見を通したり、人を説得できるようになること」を挙げている。

「第1幕 理論編」では、コミュニケーション技法として話術の理論的な解説がされている。

まず、相手を説得するときには、キケロが説いた「気持ち・考え・行動」の3Kがポイントになるという。話術を活かして、「相手の気持ちや考えを変え、行動する」ように説得できるからだ。

説得力を上げるファクターとして、アリストテレスの『弁論術』にある「エトス」「パトス」「ロゴス」の3つを挙げている。

 エトス:人格的なものに働きかける説得要素
 パトス:感情に働きかける説得要素
 ロゴス:頭脳に働きかける説得要素

この3つは同等の力があるのではなく、

 エトス>パトス>ロゴス

の順になっているという。

どんなに綺麗な言葉づかいでどんなに論理的に正しいことを言っても、エトスの信憑性とパトスの感情力をともなわないと説得力がない。(p.93)

つまり、発言にふさわしい実績・肩書・誠実さといった「エトス」を伴った話し手が、愛・組織愛・笑い・同情といった聞き手の感情(パトス)を揺さぶるようにストーリーをもって、比較・比喩・例示・喩え話・対句・列挙・反復・呼びかけ・三段論法などの修辞的言語(ロゴス)を駆使して話すことが、ツカむ話術なのである。

エトス度を上げて、信頼性を主張して話を聞いてもらうためには、自分の功績や肩書を知らせることが効果的な場合もある。しかし、謙虚であることが好まれる日本では露骨な自慢は嫌われる。そこで著者は、モデストブラッグ(modest brag:謙遜自慢)を勧めている。自分をアピールする必要があるとき、直接的に自慢するよりも、謙遜してちょっと自虐的なスタンスの中で間接的に伝える手法だ。

「うちの奥さん料理上手なんだけど、いつも野菜中心だし、お酒もあまり飲ませてくれない。いや〜大変だよ。モデルと結婚していると」(著者は妻が元モデルだから実体験なのだろう)

相手の懐に入るには、まず良い聞き手になること。次に安易に決まり文句を使わないこと。相手にとって共通認識を示す言葉や表現である「コモンプレイス」を使うことを挙げている。

日本では「安全」「安心」「元気(英語に翻訳できない)」「マナー(日本人はマナーを重視する)が、アメリカでは「自由」「自主性」「独立心」「実力主義」がコモンプレイスである。

日本は、ルールやマナーを守らなくてはいけないと、みんなが考えている社会ですが、アメリカではルールを守らないアウトローがというのがカッコいい。ハリウッド映画のヒーローは、(略)大体がルールを破りまくりのアウトローとして描かれることが多いでしょう。(p.114)

相手の立場や背景を考えて、響きそうなコモンプレイスを推測するには、相手が何度も使う言葉やフレーズに注目する。事前にその組織のホームページをチェックすると、何度も登場する言葉やキャッチコピーがその組織のコモンプレイスである。

さらに「フレーミング」にもページを割いている。元々は「額縁をつける」という意味だが、話術では視点を変えた言い換えのことで、額縁の種類だけでなく、どこにつけるかも自由に選べるとしてる。

例えば、「規制緩和」は「無法化」や「弱肉強食化」とネガティブな表現に言い換えることができる。「不良品発生率が10パーセントから5パーセントになりました」というのを「不良品発生率が50パーセント減りました」と言い換えることができる。視点を変えてどこに焦点を当てるかで、自分の望んだ方向に注目させることができるテクニックだ。

「第2幕 実践編」では、挨拶やスピーチ、ディスカッション・交渉・ディベート、騙す話術の見抜き方など具体的に解説している。

昔からテレビの海外取材番組を観ていていつも驚かされるのは、小学校低学年の子供でもインタビューにははっきりと自分の主張を述べることができることだ。初等教育に彼我の大きな差があるということなのだろうと思っていたが、本書ではアメリカのコミュニケーション教育について詳しく紹介されている。

アメリカでは幼稚園からプレゼンテーションの訓練がされているという。「show and tell(見せて話す)」というもので、家からおもちゃや雑貨、蛇の抜け殻などを持参し、クラスメイトの前で「これは何か?」「どこで手に入れたのか?」「あなたにとってどういう意味があるのか?」という先生の質問に答えるというものだ。これが小学校2年生ぐらいからは、全部一人で話した後に、クラスメイトからの質問に答えるという。

日本には「阿吽の呼吸」や「忖度」といった、言葉を発せずに相手の気持ちや考えがわかることを尊ぶ傾向がある。外国人には苦手な日本人特有の「空気」というものもある。しかし、本来、言葉で伝えなければ、情報が正確に伝わることはないし、言葉にしなかったために誤解が生じることも少なくない。

言葉で伝えなければ省エネで楽かもしれないが、それは相手に「理解してくれ」という甘えでしかない。そうした甘えを許してくれる親密な関係ならばともかく、文化や価値観の異なる相手に対しては、ちゃんと言葉で伝えなければならない。しかし、そうした訓練を日本ではあまり教育に採り入れてこなかった。コミュニケーション技法を学んでいないのだから、「コミュ障」や「ボキャ貧」が少なくないのは当たり前だ。



↓ブログランキングに参加中です。
にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ


『「農民画家」ミレーの真実』井手洋一郎(NHK出版新書 427)

20140829193107d3d.jpg


『「農民画家」ミレーの真実』井手洋一郎(NHK出版新書 427)


著者は、府中市美術館館長で美術評論家。1997年に山梨県がミレーの「種をまく人」と「夕暮れに羊を連れ帰る羊飼い」を購入した翌年に山梨県立美術館に学芸員として就職し、開館以来10年間にわたって「ミレー番」としてミレー作品の世話をした。

本書は、ミレーの代表作が描かれた時代背景と、図像学的側面からミレーの綿密な技法を解説するとともに、清貧の「農民画家」として日米で偶像化されたミレーの実体に迫る評伝になっている。

【目次】

第1章 〈種をまく人〉がまいているのは何か?—ミレーの革新性
 一 ミレーによる「農民画」の改革
 二 〈種をまく人〉の衝撃
 三 二つの〈種をまく人〉の謎
第2章 ミレーの生涯と画業の変遷—ミレーの多様性
 一 グレヴィルの日々—ミレーの原風景
 二 シェルブール、パリ—苦難の日々と肖像画家としての研鑽
 三 二月革命でつかんだチャンス—歴史画から農民画へ
 四 バルビゾン前期—農民画代表作の誕生
 五 バルビゾン後期—風景画の新境地と名声
 六 晩年—最後の「四季」から印象主義の先駆へ
第3章 ミレーは本当に清貧か?—ミレー神話の形成過程
 一 ミレー・ブームを作ったアメリカ
 二 サンスィエの「ミレー伝」、神話と真実
 三 日本におけるミレー神話
第4章 さまよえる魂の画家—ミレーの現代性
 一 「現代画家」としてのミレーの素顔
 二 人間の疎外とミレーの世界性


ミレーは、1814年にフランスのノルマンディー地方に生まれ、1875年にパリ郊外のバルビゾン村で亡くなっている。ミレーが生きた19世紀初頭から後半のフランスは、七月王政の時代を経て産業革命の勃興による労働者主体の二月革命が起こるも、ナポレオン3世によって第二帝政となり、次に普仏戦争によって第三共和政となったように、王政と共和政が交互に入れ替わる激動の時代だった。

パリで「第一回印象派展」が開催されたのは、ミレーの亡くなる1年前の1874年4月のことだった。モネ、ドガ、ルノアールらが参加した私的な展示会で、サロン(官展)に落選した作品を集めた「落選展」だった。一方、彼らよりは一世代上のミレーは、サロン展に何度も当選し、晩年には第1位も受賞している。

ミレーは農家の長男として生まれている。しかし、19歳で故郷を離れて以来、農民だったことはなく、あくまで農民を描く「農民画」の画家だった。しかもミレーの描いた約400点の油絵のうち、農民中心の構図は100点に満たず、それ以上に肖像画や風景画を描き、聖書や神話が主題の歴史画、風俗画、静物画も描いたが、代表作とされるのは農民を描いた一連の作品だ。

ミレーが1850年のサロン展に「種をまく人」を出品したのは、革命的な事件だった。それまでも農民画はあったが、1人の農民をアップで描いた絵画はなかったからだ。大股で歩きながら種をまく農夫の力強さから「霰弾をまいている」と評した人もいたほどだった。さらに、画面を厚塗りにしたことも、薄塗りの新古典派の技法に反して革新的だった。

当時ミレーはバルビゾン村に住んでいたが、描かれた斜面は故郷のノルマンディーを思わせ、まいているのは蕎麦の種と推察されると著者はいう。ノルマンディーでは、荒野でも育つ蕎麦が主食となっていたからだ。豪奢を極めるパリっ子たちにミレーは、貧困にあえぎながらも力強く生きている農民の姿を見せつけたのだ。

実はミレーは5点の「種をまく人」を描いたという。1840年に描かれた作品はすでに失われ、1847〜1848年に描かれたのは、縦長のキャンバスに描かれた「種をまく人」。そして、1950年にボストン美術館版と山梨県立美術館版の2点を描き、最後に未完成作のカーネギー美術館版を描いている。

種をまく人
左が山梨版、右がボストン版

このうちボストン美術館版と山梨県立美術館版のどちらかがサロンに出展されたはずだが、どちらが出品されたのかはっきりしないらしい。

1984年から1985年にかけて、日本各地で開催された「ミレー展 ボストン美術館蔵」と題した展覧会では、ボストン版と山梨版を並べて展示され、1985年4月に山梨県立美術館でどちらがサロン展に出品されたかという問題を巡ってシンポジウムが開催された。ボストン側は学芸部長補佐のアレクサンドラ・マーフィー、山梨側は「ミレー番」学芸員の著者が、一騎打ちで論争することになった。

著者は、X線写真で現れた下絵に描かれた人体各部が現在の山梨版よりもボストン版に近いことなどから、山梨版が後から描かれたことを証明した。さらに、ミレーの友人であり、マネージャー兼作品ディーラーでミレーの伝記作家アルフレッド・サンスィエが、1850年に描かれた「種をまく人」2点のうち、後に描いた方をサロンに出品した、と伝記に書いていることから、著者は山梨版がサロン展出品作だと主張した。これに対して、ボストン側は様式比較などによってボストン版の方がサロン出品作にふさわしい、と主張した。

X線分析という客観的証拠によって山梨版に軍配が上がるかと思われた。しかし、ミレー研究の権威であるロバート・ハーバート教授は、山梨版を所有したサンスィエが売却の際にサロン出品作だと主張していないこと、ボストン版はボストンにもたらされて以来サロン展出品作と呼ばれてきたことから、山梨版が後に描かれたとしてもサロン展出品作ではなかった、とボストン説を擁護したという。

マーフィーは現在でもことあるごとにボストン版がサロン展出品作であると主張しているが、結局はどちらがサロン展出品作かはわからないのだ。

「落ち穂拾い」の解説も面白い。ミレーは「落ち穂拾い」も何度も描いているが、1857年にサロン展に出品した「落ち穂拾い」は特別だ。

落ち穂拾い

落ち穂拾いという行為は、フランスでは古くから農村の互助的風習として行われていた。その際、零細農民には、地主の麦畑の収穫を手伝う手間賃が支払われ、さらに生産物の1割を占める落ち穂を拾う権利が認められていた。

しかし、1854年、第二帝政期に貴族階級を中心とする地主たちがこれに物言いをつけたのだ。2年間の論議の末、落ち穂拾いは、日没前に女性と子供が監視人付きで行うなどの制限が付くようになった。

サロン展に出品された「落ち穂拾い」は、3人の女性たちが、拾うべき落ち穂がほどんどないような畑で、日中に堂々と落ち穂を拾っている。つまり、落ち穂拾いという権利を奪われた農民の姿を描いているのだ。評価は、「ボロを着た案山子」「貧弱」「醜悪」「粗雑」「平板」「傲慢」という悪評と、「崇高さと晴朗さ」「農夫の美徳である勤勉な忍耐」という過大な賛辞に別れた。

著者は、構図分析によってこの作品が巧みな視線誘導で「大地に生きる農民」の姿を描いていることを示している。この絵は二等辺三角形を基本構図としていて、対角線上の平行線内にモチーフが納まるように計算されているという。3人が持つ落ち穂の束は右下から左上へと対角線上に並び、左上の大きな積み藁にたどり着く。中央と右の農婦の顔を結んだ延長線上には、馬上で命令している監視人が描かれ、彼女たちが監視下にあることを示しているのだ。

夕暮れの畑で祈る若い夫婦を描いた「晩鐘」も不思議な作品だ。

晩鐘

アメリカ人美術コレクターのトマス・ゴールド・アップルトンの依頼で描かれたこの絵は、鐘の音と祈りをテーマにしている。しかし、遠くに教会の尖塔は描かれているものの、キリスト像やマリア像、十字架といったアイコンは描かれず、カトリックの宗教画の形式を放棄した構図になっている。著者は、プロテスタントであるアップルトンの指示で宗教や宗派を問わない「ユニバーサルな祈り」の作品として描かれたとしている。堅苦しい宗教臭がないから、宗教とは離れた「祈り」の絵画として世界中で受け入れられることになったのだ。

夫婦はいったい何を祈っているのか。著者の仮説は「馬鈴薯の収穫」だというものだ。小麦が採れない地域のフランス農民は蕎麦や燕麦を主食にしていたが、それも食べられない場合にはじゃがいもで代用したという貧しい状況を、同じくじゃがいもを主食にしていた開拓時代のアメリカの生活になぞらえて描き、ボストンの富裕層向けに節約の美徳を表す効果を狙った郷愁的教訓画である、としている。

ミレーは農家の長男だったが、絵の才能を活かすために故郷を捨て、家族を捨てた漂泊者としてバルビゾン村で暮らした。しかし、そこで描いた風景画は平坦なバルビゾンの農地ではなく、傾斜のきつい故郷ノルマンディーの農地であり、ノルマンディーの農民たちだった。故郷や家族は捨てたが、心はノルマンディーから離れることはなかったのだ。

そうしたミレーの作品は、フランス国内よりもアメリカで人気を博した。「信仰・清貧・農民」というイメージは、ミレーのマネージャー兼作品ディーラーのサンスィエが書いたミレーの伝記で捏造されたという。それはアメリカのピューリタン精神に受け入れやすかったため、アメリカ人は捏造されたミレー像をさらに増幅して愛した。

そして、明治末期から大正にかけて日本でミレーが「偉人」として受け入れられ、数々の偉人伝に「清貧の農民画家」として書かれたのも、そのアメリカの影響下にあったためだ。

ミレーは古典派から印象派の端境期にあって、さまざまな技法にチャレンジしながら革新的な画法によって描いたが、フランス国内では人気が出なかった。著者は、フランス人が外国人には見せたくないフランスの野暮ったさや前近代的な姿を描いたからではないかと推察している。

最近では、アメリカと日本に続いて、韓国・台湾・中国などのアジア諸国でもミレーの人気が高まっているという。

著者は、そこにかつて農業国だった国々で、ミレーの絵が公害のない穏やかな田園時代のユートピアとして捉えられていると見る。2010年の上海国際博覧会で展示された「晩鐘」、2012年に上海中華芸術宮(国立美術館)の落成を記念して展示された「落ち穂拾い」の圧倒的人気に、日本で公害が最もひどかった1960〜1970年代に同じくミレー・ブームが起こったことと重なるという。世界でミレーが「脱工業化のシンボル」と捉えられているのだ。



■関連書籍
『名画に隠された「二重の謎」―印象派が「事件」だった時代』三浦篤
『印象派の誕生―マネとモネ』吉川節子



↓ブログランキングに参加中です。
にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ



『エピジェネティクス―新しい生命像をえがく』仲野 徹(岩波新書 1484)

20140822173800083.jpg


『エピジェネティクス―新しい生命像をえがく仲野 徹(岩波新書 1484)


エピジェネティクスは、ゲノム中心の生命観を変えるかもしれない生命科学の新しい概念であり、著者は大阪大学大学院教授でその研究者。

エピジェネティクスは、生命現象の根源的な現象の1つであり、病気の発症にも重要な役割を果たしており、創薬のターゲットとしても脚光を浴びている。ところが、著者はこれまでマスコミの取材を受けてもなかなか記事にされないことに不満をもっていたという。エピジェネティクスはわかりにくく、一般向けにエピジェネティクスを紹介する本が少ないからだ。

そこで本書では、エピジェネティクスの概念、分子レベルでの制御機構、生物における役割、発生や病気における重要性、さらには今後の展開までを解説している。

【目次】

序章 ヘップバーンと球根
第1章 巨人の肩から遠眼鏡で
第2章 エピジェネティクスの分子基盤
第3章 さまざまな生命現象とエピジェネティクス
第4章 病気とエピジェネティクス
第5章 エピジェネティクスを考える
終章 新しい生命像をえがく


エピジェネティクスは、イギリスの発生生物学者コンラッド・ウォディントンが1942年に提案した用語で、「エピジェネシス(後成説)」と「ジェネティクス(遺伝学)」の複合語。しかし、エピジェネティクスの研究が盛んになったのはゲノムの解析が進んだ2000年以降で、わが国でエピジェネティクスの専門学会である日本エピジェネティック研究会は、わずか8年前の2006年12月に設立されたばかりという新しい研究領域である。

エピジェネティクスとは、「遺伝物質からはじまり最終的な生物を形づくるすべての制御された過程の研究」のことで、2008年に次のように定義されているという。

エピジェネティクスな特性とは、DNAの塩基配列の変化をともなわずに、染色体における変化によって生じる、安定的に受け継がれうる表現型である。

わかりやすいのは一卵性双生児だ。まったく同一のゲノムを持っている一卵性双生児でも、コピーのようにまったく同じではなく容姿は微妙に異なる。指紋も似てはいるが異なる。 「DNA→複製→DNA→転写→RNA→翻訳→タンパク」という分子生物学のセントラルドグマからすれば、ゲノムに記録されている情報に基づいてまったく同じ表現型(容姿)になるはずだが実際には微妙に異なる。

1944年にオランダはドイツ軍によって深刻な飢餓状態に陥ったという。そのさなかに妊娠中の女性もたくさんいて、胎生後期に飢餓を経験して生まれた赤ちゃんは体重が極度に低く病弱な子供になった。飢餓が胎生前期だった赤ちゃんはおおむね正常な体重で生まれたが、半世紀後の疫学調査で高血圧・心筋梗塞などの冠動脈疾患や2型糖尿病などの生活習慣病や統合失調症などの神経精神疾患の罹患率が高かった。

また、イギリスで生まれたときの体重と中年になってからの疾病の関係について疫学調査をおこなったところ、生まれたときの体重が低いほど、高血圧や糖尿病といった生活習慣病のリスクが高いことがわかったという。

この2つの現象は、胎児期に充分な栄養がない場合、できるだけ栄養を取り込むように適応したからではないかと解釈されている。しかも、50年という長期にわたって「記憶」が体に刻み込まれている理由は、遺伝でもDNAの塩基配列の異常でもなかった。ゲノムに上書きされた情報であり、そのメカニズムがエピジェネティクスなのだ。

DNAが突然変異を起こさないのに遺伝情報が変わってしまうのは、DNAのメチル化とヒストン修飾という化学的結合によって遺伝子の発現が制御されるためである。

DNAメチル化とは、DNAのシトシンにメチル基が結合することで、DNAの転写が抑制され遺伝子発現が抑制されること。

DNAをテキスト情報とすると、メチル化によってDNAの一部が「伏せ字」になった状態に喩えられる。ワープロソフトでいえば「二重線」のことだ。テキスト情報自体には変化がないので、「二重線」を消せば、また読めるようになる。

一方、ヒストン修飾というのは、DNAの二本鎖が巻き付いているタンパク質のヒストンにアセチル基などの化学物質が結合することで、「この遺伝子は読み出してください」「この遺伝子は読んでいはいけません」ということを示す「付箋」が付くことだという。これらも、DNAメチル化と同様にテキスト情報自体に変化はなく、「付箋」は外すことができる。

ヒストン修飾には、アセチル化のほかメチル化、リン酸化、ユビキチン化などがあり、アセチル化すると遺伝子発現が活性化し、メチル化には活性化と抑制の2つの作用がある。

DNAとヒストンが化学的に変化することで表現型が変わるのは、秋まき小麦を低温で処理すると春まき小麦になる春化や、ミツバチが同一のゲノムを持つ卵から餌のローヤルゼリーの有無で働きバチと女王バチのまったく異なる成虫なることで説明されている。表現型は違うがゲノムは変化していないので、春まき小麦と女王バチが遺伝することはない。

発がんの仕組みについてもエピジェネティクスによる解明が進んでいる。

悪性腫瘍ではゲノム全体のDNA低メチル化と、特定領域のDNA高メチル化という特徴があることがわかっているのだ。特定領域のDNA高メチル化によって、がん抑制遺伝子の発現が抑制され、ブレーキが壊れた状態になっているという。また、白血病や悪性リンパ腫のゲノム解析では、9割の症例でヒストン修飾の異常が見つかっている。

こうしたことから、DNAメチル化を新しいがん診断マーカーとして使用することが可能になっていて、ヨーロッパでは大腸がんの診断がスタートしている。また、前立腺がんについてもPSA(前立腺特異抗体)と組み合わせてスクリーニングする方法が研究されている。

DNAの突然変異を正常化することは不可能だが、DNAメチル化というエピジェネティクスな異常は薬剤で操作することが可能だ。そこで、がん治療に利用しようという研究も進んでいる。骨髄異形成症候群に対してDNAメチル化の阻害剤アザシジンを投与する治療法だ。また、ヒストン脱アセチル化酵素阻害剤についても研究が進んでいるという。これが、エピジェネティクスによる創薬の可能性だ。

エピジェネティクスは、生命活動のあらゆる分野に関わっているが、まだまだ端緒についたばかりの研究分野でわからないことも多く、可能性は無限のようだが新しい分野だけに五里霧中だったり試行錯誤も数少ないのだ。



↓ブログランキングに参加中です。
にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ



『遊動論―柳田国男と山人』柄谷行人(文春新書 953)

20140815205711e54.jpg


『遊動論―柳田国男と山人柄谷行人(文春新書 953)


本書は、柳田国男批判に対する批判・誤解を解き、その思想を擁護するために書かれている。

著者は、「柳田論を仕上げることをずっと待ち望んでいた」と「あとがき」に書いている。2013年に『柳田国男論』として刊行されたのは、1974年の「柳田国男試論」と「柳田国男の神」に、1986年の「柳田国男論」を合わせたもので、一切の加筆を加えなかったらしい。だから、本書が「柳田論」の総仕上げということになる。

本書は、2013年に『文學界』で連載された第1〜4章に、2012年秋に中国の中央民族大学で行った講演の草稿「二種類の遊動性」を加えたものである。

【目次】

第1章 戦後の柳田国男
 戦中から戦後へ
 柳田の敗北
 農民=常民の消滅
 非常民論
第2章 山人
 近代と近代以前
 農政学
 焼畑狩猟民の社会
第3章 実験の史学
 供養としての民俗学
 山人と島人
 公民の民俗学
 オオカミと「小さき者」
第4章 固有信仰
 新古学
 固有信仰
 祖霊信仰と双系制
 「場」としての家
 折口信夫と柳田国男
 固有信仰と未来
付論 二種類の遊動性
 遊動的狩猟採集民
 定住革命
 二種類のノマド
 柳田国男


柳田国男は、初期に「山人」(狩猟採集的遊動民)を研究したが、後期にそれを放棄し、稲作民である「常民」(定住農民)を中心とした「民俗学」に向かった、と長らく批判されてきた。さらに、柳田が主張した「一国民俗学」は日本の植民地主義を支える理論とされた。

本書は、そうした通説を覆し、柳田国男が「山人」「常民」「一国民俗学」「固有信仰」と研究対象を変えながらも、国家と資本を乗り越える社会変革の可能性を一貫して探求していたことを明らかにするために書かれている。

柳田国男の人生は敗北の連続だった。

柳田国男は、田山花袋や島崎藤村と交流のある文学青年だったが、大学では農政学を専攻した。卒業論文「三倉改革」は中国で飢饉等の厄災に備えて穀物を貯蔵した倉と制度の沿革研究だった。

柳田は農政学を選択した理由を次のように書いているという(『故郷七十年』)。

饑饉といえば、私自身もその参事にあった経験がある。その経験が、私を民俗学の研究に導いた一つの理由ともいえるのであって、饑饉を絶滅しなければならないという気持ちが、私をこの学問にかり立て、かつ農商務省に入る動機にもなったのであった。(p.47)

柳田は13歳(明治18年)のときに飢饉を見聞し、明の兪汝為が書いた飢餓救済策の書である『荒政要覧』を読んでいたという。

著者は、柳田が農政学に向かったのは偶発事ではなく、さらにそこから「民俗学」に導かれたとしている。その根底には、飢饉の民を救う「経世済民」という儒教的理念があったという。しかし、これは柳田自身が使った言葉ではなく、後の研究者が定義した柳田の思想を表す言葉だ。

柳田は農商務省の官僚となり、従来からあった共同労働システム(結:ユイ)や金融システム(頼母子講)のような相互自助の協同組合によって小作農を救済しようとした。柳田の考えていた協同組合は、単なる農業の振興ではなく、農業・牧畜・漁業・加工業、さらに流通や金融を包括する農村改革であり、究極的には農村と都市、農業と工業の分割を乗り越えることを目指していた。

しかし、その当時の日本の農政は「農業本国説」であり、富国強兵のための資本を農民から収奪し、農村を兵士を提供する母体とするものだった。補助金によって小農を保護するが、農村の自立的な改革や発展を目指すものではなかった。

柳田の農政は受け入れられず、わずか2年で農商務省を去り、法制局へと移った。移動後も協同組合・産業組合に関して、各地で講演を行ったが、柳田の望むような組織化は実現しなかった。

著者は、「その挫折から彼の民俗学が生まれた」としている。柳田の民俗学は「農村生活誌」であり、その根底に農村改革の目的があった、というのだ。

その意味で、彼の農政学は最初から、史学的・民俗学的であった。同時に、柳田の民俗学は農政学的であったともいえる。(p.60)

官僚として自らの農政学が活かせなくなったことで民俗学に向かったのだ。

「柳田は山人説を放棄していない」と著者は何度も書いている。

柳田は、1908年、宮崎県椎葉村を訪れ、焼畑と(猪)狩猟で生活する山村に共同自助を見て、そこに理想的な共同自助の実践があり、ユートピアの実現を見たのだ。柳田はそこに住む人々を「山民」と呼び、『後狩詞記』を書いた。

椎葉村に住んでいたのは「山民」であり、柳田はこの地に異人種である「山人」が先住し、その後に山民がやってきたと見ている。天狗その他、怪奇なイメージで語られるのは、先住異民族の末裔である山人であると考えたのだ。

先住民は追われて山人となり、その後に山地に移住してきた人々が山民となった。山民は、農業技術をもち、平地に水田稲作とそれを統治する国家ができた後に逃れてきた者であり、平地民と対抗すると同時に交易していた。東国や西国の武士も起源においてこのような山民であった。その中で、武士が平地に去った後に残ったのが、現在の山民である。柳田は、椎葉村で山民にであったことで山人に取り組むことになった。

『遠野物語』を書いた頃、彼は、歴史的に先住民が存在し、その末裔が今も山地にいる、と考えていた。その後も、彼は山人が実在するという説を放棄したことはない。ただ、それを積極的に主張しなくなっただけである。(p.32)

なぜ、柳田は山人の存在を積極的に主張しなくなったのか。

著者は、一般に言われているように南方熊楠に批判されたためだとするのは間違いだとしている。しかし、本書では柳田がなぜ山人の存在を主張しないようになったのかは明らかにされない。

山内丸山遺跡のように、縄文人が必ずしも山だけに暮らしていたわけではないことを我々は知っている。DNAによって栗などの栽培を行っていたことも明らかになっている。水稲という高度な土木・農業技術が普及する下地として、定着民して焼畑などで暮らす人々がすでにいたはずだ。さらに、縄文人は山で暮らす採集狩猟民だけでなく、川や海で漁労を行っていたこともわかっている。つまり、必ずしも山だけで暮らしていたわけではない。この点についても、本書はまったく触れていない。

柳田国男の民俗学が、日本の帝国主義に寄与した点についてはどうか。

著者は、柳田が「一国民俗学」を主張したのは、日本が満州を拠点にして膨張主義になり「東亜新秩序」を裏付けける「比較民俗学」が要請された時代だったとしている。その膨張主義が破綻した敗戦後には、「一国民俗学」が受け入れられ、1970年代に日本で再び膨張主義が始まると「一国」的であることが批判の標的となった、という主張だ。

本書のもう1つの主題である遊動性について、著者は遊牧民的と採集狩猟民的の2つがあるとしている。定住後に生じた遊牧民や山地人、漂泊民の遊動性は、定住以前にあった遊動性を回復するものではない。

そして、柳田国男はこの2種類の遊動性を弁別したという。日本列島に先住した採集狩猟民であり、農耕民によって滅ぼされ山に逃れた「山人」と、移動農業・採集を行う山民、工芸・武芸を含む「芸能的漂泊民」である。芸能的遊動民は、定住性とそれに伴う服従性を拒否するが、他方で定住民を支配する権力とつながっている。

柳田の唱えた「山人」の実在は確認できなかったが、彼は稲作民以前の「固有信仰」に見出そうとした。そこには、資本=ネイション=国家を越える最古の形態を見出した。しかし、稲作農民の社会では「固有信仰」の痕跡しか残っていなかった。

柳田が推定した「固有信仰」における祖霊は、次のようなものだった。

人は死ぬと御霊(みたま)になるが、死んで間もないときは「荒みたま」である。強い穢れをもつが、子孫の供養や祀りをうけて浄化され御霊となる。初めは個別的だが、一定の時間が経つと一つの御霊に溶け込む。それが氏神(神)である。祖霊は、故郷の村里を望む山の高みに昇って、子孫の家の繁栄を見守る。生と死の2つの世界の往来は自由である。祖霊は、盆や正月などにその家に招かれて共食し、交流する存在となる。御霊は、現世に生まれ変わってくることもある。

祖霊と生者の相互信頼は、互酬的な関係ではなく、愛にもとづく関係である。祖霊はどこにでも行けるにもかかわらず、生者のいる所から離れない。

他の国の祖霊崇拝は子孫の「孝行」にもとづいている。孝行は、親子双方の相手に対する愛情や絆、義務が入り混じった互酬的関係である。儒教の「孝」は家父長制にもとづくが、孔子はそれを互酬的なものとみなしていた。親子の間には敵対性、攻撃性が潜在しており、それが孝としての互酬性によって抑制されている。

ところが、柳田のいう固有信仰では、祖霊と子孫の間の相互性にそのような敵対性がひそんでいるようにはみえない、という。その関係は互酬的なものではない。祖霊は近くにとどまって子孫を見守るが、子孫の祀りや供養に応えてそうするのではなく、自発的にそうするのだ。

「室町以前のことはわからない」と柳田は考えていたが、神道や仏教、道教の幾重にも重なった習俗の奥底に、交換や契約とは異なった日本古来の祖霊信仰を見出したのだった。


↓ブログランキングに参加中です。
にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ


『医学探偵の歴史事件簿』小長谷正明(岩波新書 1474)

20140808134442ba6.jpg


『医学探偵の歴史事件簿』小長谷正明(岩波新書 1474)


著者は、神経内科医で独立行政法人国立病院機構鈴鹿病院長。

本書は、『週刊 日本医事新報』に連載されたエッセイ「歴史逍遙─医学の眼」をまとめたものだが、なぜか、本書に初出が記されていない。

「元々は診療と病院運営の合間に、心を別世界にワープさせ、肩の力を抜く気分で書いた(p.197)」ものから取捨して一冊にまとめたものだ。

本書は、歴史的な人物にまつわる医学的な逸話を文献を駆使して明らかにしている。歴史に埋もれたエピソードに新知見で光を当てているところが面白い。

【目次】

第Ⅰ部 二十世紀世界史の舞台裏
 1 ケネディの腰痛—最年少大統領の悩み
 2 隠蔽された炭疽菌事件
 3 レーガン大統領のアルツハイマー病
 4 総統の手の震え
 5 動物園通り四番地―障害者安楽死計画
 6 スターリンと医師団陰謀事件
第Ⅱ部 近代日本史の曲がり角
 1 明治天皇と脚気病院
 2 二・二六事件と輸血
 3 終戦時厚木基地反乱事件―首謀者のマラリア発作
 4 三島由紀夫の筋肉
 5 宮内官は語らず―昭和天皇の御不例
第Ⅲ部 医学を変えた人々
 1 恐竜から神経難病まで—パーキンソンの知られざる貢献
 2 新大陸バイオテロと種痘ミッション
 3 ランプとハンマーの貴婦人―ナイチンゲール
 4 狂犬病との闘い―ギヨタンとパスツール
 5 キュリー夫人の黒い車―X線を野戦病院へ
第Ⅳ部 王と医師たち
 1 怒れる国王ジョージ三世
 2 ルイ一七世の心臓
 3 ヴィクトリア女王の無痛分娩
 4 皇女アナスタシアの青い血
 5 ジョージ五世の安らかな最期
第Ⅴ部 いにしえの病を推理する
 1 ツタンカーメンの杖
 2 鈴鹿に逝きし人—倭建命
 3 すわ鎌倉―源頼朝の落馬
 4 「神の声」を聞いたジャンヌ・ダルク
 5 ハプスブルグ純系王朝


健康的な青年大統領として人気を博したジョン・F・ケネディは、実は若いころからコルセットが必要なほどの腰痛に悩まされていた。さらに腎臓に深刻な異常があって、凶弾に倒れた際の解剖所見では副腎が見つからないほど委縮していたという。

大統領の任期を終えた後にアルツハイマー病であることを告白したロナルド・レーガンは、実は大統領2期目にはすでに激しい物忘れなどアルツハイマー的症状が現れていたらしい。ところが、ここ一番での演説や冷戦終結を決定付けたゴルバチョフとの会談などでは、よどみのない見事な演説ができたために、アルツハイマーという診断が下せなかったという。

日本で輸血の有効性が広く認識されるようになったのは、昭和5年11月14日に東京駅で浜口雄幸首相が狙撃された事件がきっかけだった。治療にあたったのは、東京大学外科学教授塩田広重。第一次大戦中にパリの野戦病院で輸血治療を目にし、素晴らしい治療効果に感嘆して輸血器具と血液型判定キットを携えて帰国したのだった。

源頼朝の落馬による硬膜下出血などの頭蓋内出血と脳ヘルニアによる呼吸停止あるいは誤嚥性肺炎による死。医学実験用の純系マウスのような近系交配を繰り返したハプスブルク家の遺伝病。ジャンヌ・ダルクの側頭葉テンカンの恍惚発作による「神の声」など、歴史的人物と病気に関わるさまざまな逸話が紹介されているが、圧倒的に面白いのは著者の近親者による証言がある2つの事件である。

昭和20年8月15日、厚木海軍飛行場の第三〇二海軍航空隊司令だった小園安名大佐は、日本の降伏を受け入れず徹底抗戦するために反乱事件を起こした。そこで、第三航空艦隊参謀だった著者の父親が三航艦長官である寺岡謹平中将とともに、厚木基地へ説得に向かったという。説得を受けれなかった小園大佐だったが、8月18日にマラリアによる40度を超える高熱で狂乱状態となり、海軍病院に収容されたことで首謀者を失って反乱は鎮圧された。

終戦後、南方や大陸からの復員者の中にはマラリア罹患患者も多く、574万人のうち95万人に既往歴があり、約半数の43万人が帰国後に再発したと推定されている。(p.66)

後年、小園大佐は障子の隙間から噴霧された麻酔ガスで眠らされて海軍病院に拉致された、として著者の父親ら参謀の名を挙げた実録が出版された。父親は「スパイ映画もどきのことが俺にできるわけがない」と否定したという。実際には、司令部から派遣された軍医が実行したのだった。

昭和62年夏、著者は宮内庁次長だった叔父から次のような相談を受けた。

「八十何歳かのおじいさんで、ご飯を食べるとお腹が張ってもたれる、吐き気があるというんだが、何が考えられる?」(p.73)

「胆管か膵臓のがんで圧迫されているかもしれない」と答え、誰のことかと尋ねた著者に叔父は「親戚のおじさんだ」と叔父は答えた。

同年9月に、昭和天皇が手術を受けた際には「腫瘤形成性慢性膵炎」と発表された。とても珍しい病名だったが、叔父の相談は昭和天皇に関するものだったのである。崩御直後には「十二指腸乳頭周囲がん」と発表された。それまで報道されてきた病状と矛盾のない病名だったらしい。

叔父は、昭和平成二代の天皇に仕えた侍従長・山本悟。「宮内官は黙して語らず」として、皇室の私生活や内奏や御進講などについて、一切を語らなかった山本だったが、崩御後に次のようなことを著者に語っている。

「お上は神様みたいな方だから、いや神様だから、われわれのように痛いの苦しいのとおっしゃらない。そばからうかがっていて苦しいのにちがいないと思うのだが、口にされない。自分のそういうことを口にされないように教育されてお育ちになったのだ。だから、お上の症状がわからなくて困った。」(p.77)

山本は病気による退官後も、皇太子妃殿下の健康問題や皇室典範改正問題、悠仁親王誕生など、皇室にまつわる話題について口にすることはなかった。入江相政のような「皇室の語り部」ではなく、「じっと仕えるのが自分だ」というのが口癖だったという。

ヤマトタケル(倭建命)は東征後、伊吹の神と闘い大氷雨で失神し、息を吹き返すも能煩野で亡くなったと『古事記』に記されている。著者は、ヤマトタケルの実在性については意見を述べていないが、死に至る病状の経緯については医学的に矛盾のない記述であるとしている。ヤマトタケルの物語の多くは創作だとしても、同じように亡くなった人の記録が残っていたのだ。

大統領や国王など権力者の重篤な疾病は、国の趨勢に大きく作用するために隠蔽されやすい。しかし、有力者だけに医学的資料が残り、医学探偵によって明らかにされているのだ。



↓ブログランキングに参加中です。
にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ



『中国の大問題』丹羽宇一郎(PHP新書 931)

201408011738579ea.jpg


『中国の大問題』丹羽宇一郎(PHP新書 931)


著者は中国大使の時代に売国奴と呼ばれた。

著者は、伊藤忠商事の会長・相談役を経て2010年6月に民間人初の中国大使となった。伊藤忠商事では食料関連事業を担当したこともあって、中国の要人と太いパイプがあったことが大使就任の理由だったが、言動が中国寄りであるとされ任期途中で更迭された。

本書では、中国が抱える諸問題を指摘するとともに、更迭に至る経緯についても書いている。

【目次】

第1章 14億人という大問題
第2章 経済という大問題
第3章 地方という大問題
第4章 少数民族という大問題
第5章 日中関係という大問題
第6章 安全保障という大問題
終章 日本という大問題


第1章から第4章までは、習近平政権の分析と、拡大する都市と農村の経済格差、国有企業の杜撰な経営体質、テロや暴動が絶えない少数民族問題、要人たちの汚職と不正蓄財、といった中国が直面する難問を解説している。しかし、「大問題」の数々はたびたび報道されていることと同じで新鮮味はない。

その一方で、中国の次世代リーダーに触れている部分は興味深い。

中国は、全国人民代表大会(全人代)が形式上の決定機関だが、実質は大臣クラスの中国共産党中央政治局委員25名、そのうち7名の常務委員である「チャイナセブン」が国を動かしている。著者は、習近平を支える次のリーダーとして、汪洋・孫政才・胡春華の3人を挙げ、5年以内に常務委員となるだろうと書いている。

そして、李克強首相をはじめ、次世代のリーダーである汪洋・李源潮・孫政才・胡春華といった第18期中国共産党中央政治局委員 たちは知日派だという。さらに、習近平政権は本来きわめて親日的だと見ている。ではなぜ、習近平政権は反日なのか。

指導層の権力基盤の強弱は、反日運動と強く関連している。権力基盤が弱まり、国内政治が不安定になると、求心力を維持するために反日に走る傾向がある。近年では胡錦濤・前総書記が任期後半、江沢民・元総書記一派との派閥争いの影響などによって支配力が衰えるとともに、反日運動がしだいに強まっていった。(p.39)

韓国も同じで李明博・前大統領の竹島上陸や天皇謝罪発言や、朴槿恵・現大統領の告げ口外交を例にあげているが、これはよくいわれていることで新鮮味はない。習近平の権力基盤がまだ強固なものではななく、旧来の要人を排除する2年後まで独自性を出せないためだとしている。

中国の現在の習近平体制は、もちろん国民に選ばれて発足したわけではない。となると、14億人の民をその6パーセントにあたる中国共産党員が統治する正当性はどこにあるのか。選挙による国民の信任を得ないならば、独裁体制を維持せざるをえない。独裁体制を維持するためには、政権に銃を向けられないために軍隊を掌握する必要がある。武力による制圧手段を背後にもちながら、共産党の正当性を国民に納得させる。中国に為政者にはそうした硬度な政治力が絶えず求められている。(p.52)

著者は、日本と中国とでは経済発展に40年のズレがあるとたびたび指摘している。現在の中国は、第一次高度経済成長期を終えた1974年の日本であり、今後は経済成長が年率9%以上から年率4%程度になった日本の第二次高度経済成長期と同様の内需拡大期に移行すると見ているのだ。

急激な生産拡大と目先の利益獲得という企業のモラルハザードのために環境破壊が進行し、政治家の汚職が横行した日本の成長期と同じとみなしているのだ。国家の発展という観点から見れば似ている点はあるかもしれないが、果たして本当だろうか。

確かに、日本の第一次高度経済成長期には水俣病やイタイイタイ病、四日市ぜんそくなど、人命や人権をないがしろにする破廉恥な企業活動は日本でも見られたし、政治家によるかずかずの汚職事件が摘発された。しかし、中国における人権侵害や環境破壊はかつての日本を大きく超えているのではないか。それに、中国官僚の不正蓄財は日本の政治家の汚職とは桁が違いすぎる。石油閥のドンといわれた周永康・前共産党政治局常務委員の不正蓄財は1兆5000億円という気の遠くなるような金額だ。

第5章では、著者が「売国奴」と呼ばれるようになった尖閣諸島問題の経緯について書いている。

著者が中国大使になって3か月後の2010年9月、尖閣諸島沖で海上保安庁の巡視船に中国の漁船が体当りする事件が発生した(著者は、「中国漁船と海上保安庁の巡視船の衝突事件」とあえて主体を明確にせずに書いている)。

次に、2012年4月に石原慎太郎都知事が、ワシントンでの講演で尖閣諸島の購入計画を発表した。購入費用のため東京都によって東京都尖閣諸島寄附金が募られ14億円が集まった。しかし、尖閣諸島を遠く離れた東京都が購入することはどう考えても無理があった。

本書には書かれていなが、著者は『フィナンシャル・タイムズ』のインタビューで東京都による尖閣諸島購入計画について、「実行されれば日中関係に重大な危機をもたらすことになる」として、日本政府関係者として初めて反対を明言した。この発言によって日本政府は7月23日に更迭を決定した。

2012年9月9日のウラジオストックで開催されたAPEC後に、野田佳彦首相と胡錦濤国家主席が「立ち話」をしたと報道された。胡錦濤は尖閣問題で「日本は事態の重大性を充分に認識し、軽はずみな行動は謹んでほしい」と申し入れたとされ、中国のマスコミでは大きく取り上げられたという。

ここで著者は、メンツを重んじる中国に対して日本側が誤った政治判断をしたと主張している。「立ち話」の翌日に日本政府が閣議決定で「可及的すみやかに尖閣三島の所有権を取得する」と発表したことが、中国の反日デモを激化させ、日系企業が襲われる事態を招くことになった、としているのだ。

実は同年7月7日から日中間で国有化問題をめぐるやりとりが続いていて、中国側から「十一月に共産党大会もあり、非常に大きな問題になる」と国有化をやめるよう訴えられ、「都の購入計画は日本の一人の知事の発言にすぎない」と著者は答えていたというのだ。しかし、北京での事務レベルでの折り合いがつかなかったため、APECで胡錦濤が野田佳彦に直接、意見を具申したということらしい。これは、中国で広く報道されていて、国の代表である胡錦濤主席の顔に泥を塗るような日本政府の対応に中国側が激怒したにちがいない、と書いている。

1972年の日中共同宣言には記されていないが、田中角栄と周恩来の会談の中で尖閣諸島の領有権問題は「棚上げ」という処理がなされたとされる。しかし、実際には日本が実効支配してきたし、日本政府は「棚上げ合意」はないと表明している。

尖閣問題が先鋭化したのは、1992年に中国が「領海及び隣接区域法」に「尖閣は中国の領土である」と明文化したことだ、と著者は指摘している。これに対し日本政府は1996年になって池田行彦外務大臣(第1次橋本内閣)が「日本固有の領土であり、領土問題は存在しない」と発言し、その年から中国の船が領海侵犯をするようになったのだ。

つまり、本来は1992年の時点の宮沢喜一内閣は、中国の「領海及び隣接区域法」を糾弾しておかなければならなかったのだ。さらに、本書には書いてないが、2010年3月、中国は尖閣諸島を国の管理下に置く「中華人民共和国海島保護法」を施行している。この時も鳩山由紀夫内閣は、国際世論の注目を集めるような非難を中国に対してしなかった。それが漁船衝突事件につながったのは明らかだ。

こじれてしまった尖閣問題に関して著者は解決法を提案している。

領土問題を解決する「話し合い・売買」「司法」「戦争」という三つの方法がいずれも閉ざされている場合、残された選択肢はただ一つしかないと私は思う。それは「棚上げ」と言わずに「フリーズ」、日中四十年間にわたる四つの共同宣言の精神を再確認し、日中関係の現状をまず凍結してしまうのである。(p.157)

「フリーズ」して冷却期間を置き、冷静になって話をすべきだというのだ。尖閣諸島周辺には石油が埋蔵されているとされるが、開発には莫大な費用を要するので、尖閣問題は一刻を争うテーマではない、としている。そして冷却期間中に、武器は絶対使わないなどの危機管理、資源開発、漁業協定、海難救助などについて真剣に話し合うべきだとしている。

基本的に著者の立場は、たびたび引用している習近平の言葉である「お互いに住所変更できない」立場にある日中が、戦争のような重大な紛争を避けて共存することである。14億人という巨大な市場で消費が活性化し始めている中国を「些細な領土問題」で、アメリカやドイツ、韓国、台湾といった他国に譲り渡すのは愚かだというものだ。

かつて小室直樹は、太平洋戦争の原因を日本が中国市場を独占しようとしてアメリカを怒らせたためだ、と指摘した。かつての日本のように中国が輸出依存から内需型へと変革する中で、莫大な市場をみすみす他国に専有されるのを防ぐには、一刻も早く尖閣問題を沈静化しなければならないのは言うまでもない。



↓ブログランキングに参加中です。
にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ



『家族の悪知恵―身もフタもないけど役に立つ49のヒント』西原理恵子(文春新書969)

20140725112747b30.jpg



『家族の悪知恵―身もフタもないけど役に立つ49のヒント西原理恵子(文春新書969)



ベストセラーになった前著『生きる悪知恵』の第2弾。

サイバラが、新聞や雑誌の人生相談風に家族にまつわる49の相談に、快刀乱麻ぶりをみせている。といっても、本書は前書と同様に雑誌等の連載をまとめたものではなく、いかにもありそうな相談はすべて架空のものだ。

以前、雑誌に寄せられる読者からの人生相談には使えるものが少ないので、編集者が創作していることが多い、という話を聞いたことがある。であれば、多くの雑誌と同様に相談は編集者の作文であっても、回答が面白ければ良いことになる。

【目次】

第1章 「困った夫&妻」編—夫婦は他人の始まりだから
第2章 「子育て」編—ならぬ堪忍するが堪忍
第3章 「家族もいろいろ」編—普通じゃなくてもいいじゃない
第4章 「人生の選択」編—ごちゃごちゃ言うよりやってみなはれ
第5章 「親兄弟が面倒くさい」編—バカとハサミは使いよう
特別企画 母子座談会「西原家の悪知恵」


本書は、前書と違って「結論」は警句のような切れ味はイマイチだけど、「相談」に工夫があって面白いし、サイバラの語りは前書に増して奔放だけど核心をついた回答が面白い。

例えば、「娘がウソをつく」という相談には、「子供は北朝鮮」と思いましょう、と答えている。

相手は北朝鮮なんだから、正直言ったって通じないし、ウソをつくのが当たり前。絶対最後に「知らない」「そんな約束していない」って言いだすので、そこをどうやってネゴシエイトするかですね。(p.58)

前著に、使えない部下を「ネジだと思えば腹も立たない」という惹句があったが、子供は理屈の通じない「北朝鮮」だと理解すれば、いくら腹を立てても解決にはならないと得心できる。

「家庭を現状維持しつつ、ほかの男性に身体を許すのはありですか?」という不倫の相談には、夫とは“家族”になったらいつまでも“素敵な恋人”でいられると思うこと自体がお花畑で、亡くなった夫の鴨ちゃん(戦場カメラマンの鴨志田穣)がよそに彼女ができた時にも全然腹立たなかった、と太っ腹だったところを見せている。

女性はホントにダンナさんも私も清く正しく、家庭は隠しごとのない――的な真面目な方が多くて。その相手が浮気をすると「死にたい」「殺したい」ってことになっちゃう。私らなんかは「なんでそれくらいで?」「ちょちょっと洗えばまた使えるじゃん」って思うんだけど(笑)。(p.100)

すごいなあ。

サイバラにとっての結婚は、「子供を中学とか高校まで行かせるためだけの契約」だからだ。だから、夫婦が互いに不倫してもかまわないことになる。

地元でも有名なバカ高校に通う女子高校生の「低学歴の世界から抜け出したい」という相談には、

同じチンコなら都会で仕事のできる男のチンコをくわえろ。

とアドバイスしている。

やりたいことがあるなら誰かに弟子入りするのでも何でもいいし、とにかく取っかかりを見つけてください。(…)そこからどうしてものし上がりたかったら、せっかく若い女のコなので、その先生とヤっちゃってください。そうすると、すべてのノウハウを教えてもらえますんで。(p.130)

そして、時間の無駄だから、劇団員とかカメラマンの卵のような夢を一緒に追いかける彼氏は持たないこと、と釘を刺している。

巻末に、高2の息子「ガンジ」と中2の娘「ひよ」との座談会が掲載されている。自由で妙に大人びているのが、いかにもサイバラの子供たちらしいが、その子供たちの将来の希望を尋ねられて、サイバラは「勤め人は、やめたほうがいい」と答えている。「日本人は頑張りすぎ。みんな“一人ブラック企業”」だからだ。

子どものころからぼんやりしていたためか、就職した時には上司や先輩が顧客の理不尽な要求にも完璧に応えようとしたり、納期の帳尻さえ合えば良いのにすべて既定のスケジュールで仕事を進めようとするのを見てカルチャー・ショックを受けたことを思い出した。

全員が目を三角にして必死に働く姿は、偏執狂的とさえ思えたものだ。確かに日本人の働き方は頑張りすぎだし、一人ブラック企業なのだと思う。

最後には、娘にノルマとして「離婚三回、家5軒ね」というジョークを飛ばしている。サイバラの母が離婚2回で家を2軒建て、サイバラが離婚1回で家を3軒建てたから、その合計だ。中2の娘に言うべき言葉ではないような気がするが、サイバラ家ではこれでいいのだろう。



↓ブログランキングに参加中です。
にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ


« 新しい記事に行く  | HOME |  古い記事に行く »









ブログランキングに参加中です

リンク

お気に入りに追加
このブログをリンクに追加する

最近の記事

にほんブログ村ランキング

ブログ内検索

Loading

カテゴリー


全記事一覧(500件ごと)

カレンダー+月別アーカイブ

ケータイ版URL

QRコード

RSSフィード

プロフィール

pasage

Author:pasage
昼食時は「難民」と化して「新書」を片手に、都内各地を彷徨っています。

FC2Ad

Template by たけやん

QLOOKアクセス解析

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。